青春の真っ只中にいるからこそ歌えるロックがある。現役高校生バンド、南無阿部陀仏がリリースする初の全国流通盤EP『若者よ、耳を貸せ』は、そういう作品だ。大人になるって、どういうことかもわからないし、将来のことを考えると、逃げ出したくなるほど怖くもある。がむしゃらにバンドに全力を注ぎ、恋をして、気づいたら卒業だ。『若者よ、耳を貸せ』という作品には、全曲の作詞を手がけるまえす(Vo)が、高校生活のなかで感じたことをありのままにつづった全5曲が収録されている。以下のテキストは、そんな南無阿部陀仏への初インタビュー。バンド結成から現在に至るまでを訊いたが、まるで4人の高校時代を追想するドキュメンタリーのような内容になった。
インタビュー=秦理絵
(今回のEPには)高校3年間の全部が詰まってる感じがする(アントニー)
――メンバーは全員同じ学校の軽音部だそうですけど、どういう経緯で集まったんですか?
まえす 僕は高校に入ったら、バンドをやるって決めてたんですよ。で、1年のときに、僕と(アントニー)大輝(Dr)が同じクラスで、阿部(B)とそーや(G)が同じクラスで。入学した日に大輝と仲良くなったんです。で、部活を決めるときに、大輝が「何に入るか決めてない」って言うから、「じゃあ、バンドやろう」って、一緒に軽音楽部に入って。そーやとは、共通の友達経由で仲良くなって、一緒にバンドを組むことになって。そのそーやが、「阿部っていう子がいるんだけど、ひとりで寂しそうだから誘ってあげて」っていうので、このメンバーになりました。
――まえすくんが、高校に入ったらバンドをやるって決めてたのは、きっかけがあったんですか?
まえす お兄ちゃんがバンドをやってて。かっこいいなと思ってたんですよね。1個上なんですけど。僕、お兄ちゃんが大好きで。お兄ちゃんと同じ高校に入ったんです。
――他のメンバーも、高校に入ったらバンドやろうと思ってたんですか?
アントニー 全然です。
阿部 僕も、高校に入るまでバンドをやろうとは思ってなかったですね。先輩たちが体育館でやってたライブを見て、それがかっこいいなと思って、軽音部に入ったんです。
――そーやくんは?
そーや これ、言っていいのかな……。
まえす いいんじゃない? 言っちゃえ。
そーや かわいい子がいたから入りました(笑)。
全員 うはははは!
――不純な動機(笑)。全員が初心者のなか、どういうバンドをやりたいとか、そういうビジョンはあったんですか?
まえす とにかくライブがかっこいいバンドをやろうっていうのは決めてました。でも、好きなジャンルはバラバラだから、こういうバンドをやろうっていう話をしたことはないですね。
――組んだときに、カバーはやりました?
まえす いちばん最初にバンドを組んだときにやったのは、ONE OK ROCKでしたね。あとは、WANIMAとかMy Hair is Badとか。
――音源を聴くと、SUPER BEAVERとかも好きそうだなと思いましたけど。
まえす あ、僕が大好きです。カバーもやってましたね。
そーや 最初はやっぱりボーカル(まえす)が好きなバンドをカバーすることが多かったよね。
――メンバーはどういうジャンルが好きなんですか?
そーや 僕は、特にバンドは聴いてなかったんです。ファンモン(FUNKY MONKEY BABYS)が好きで。歌詞に共感できるんですよ。
アントニー 小学校ぐらいのときは湘南乃風とかGReeeeNを聴いてました。で、中学校の後半になって、SPYAIRとかを聴くようになりましたね。
阿部 僕は、ヒップホップが好きで、日本のマイナーな人たちを聴いてたんです。最近はハルカミライがめちゃめちゃ好きですね。
――本当にみんなバラバラなんですね。オリジナルを作るようになったのはいつ頃から?
まえす 1年の8月ぐらいですかね。で、このEPで言うと、高1の冬に“君へのラブソング”ができて、高2の夏に“若者よ、耳を貸せ”を作って。で、2年の冬に“青春”っていうふうに曲ができて。
アントニー 高校3年間の全部が詰まってる感じがするね。
(「TEENS ROCK IN HITACHINAKA」の)ステージに立ってるときは、大会とかじゃなくて、もう俺らのワンマンみたいな気持ちで(そーや)
――バンド活動をやっていくなかでは、「JYOJI-ROCK(U22 GRAND PRIX 2019年 夏大会)」で GRAND PRIXを獲得したり、「TEENS ROCK IN HITACHINAKA(2019)」では審査員特別賞とオーディエンス賞に輝きましたよね。大会やオーディションには積極的に応募してたんですか?
まえす たくさんの人に知ってもらうためには、どうすればいいだろう?と思ったときに、大会かなっていうのはありましたね。特に「TEENS ROCK IN HITACHINAKA」は、高1のときから憧れてたんです。お兄ちゃんがやってたバンドも(2018年に)出たんですけど、台風で中止になっちゃったんですよ。それを見てた後輩たちも想いもあったし、思い入れが違いましたね。
アントニー LAKE STAGEと同じあのステージは、特に記憶に残るステージだったと思います。
阿部 上位の2バンドがロッキン(ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2019)に出られるっていうのもあったんですけど、僕らは3位で出られなくて、ボーカル(まえす)は悔しくて泣いてたんですよ。でも、ライブ自体は過去イチの開放感のなかでできたから、楽しかったですね。
そーや ステージに立ってるときは、大会とかじゃなくて、もう俺らのワンマンみたいな気持ちで。
アントニー お前、そんなこと思ってたんだ? すげえな(笑)。
全員 あはははは!
――そういうステージを経験したことが、バンドの推進力にもなったんじゃないですか?
まえす そうですね。悔しかったから、いつか出演者としてロッキンのGRASS STAGEに立ちたいなと思いました。
――いま話を聞いてて気になったんですけど、4人が在籍してる軽音部って、バンドの名門というか、伝統的に良いバンドを輩出するような部だったんですか?
まえす いやいや、自分たちの高校の軽音部は、もともとコピバンしかいないような部活だったんです。いまの顧問の荒木(敦史)先生が、全国的に有名な先生で、僕らの代と一緒にいまの高校に来たんですけど、そこからガラッと変わったんですよ。全国にはバンドの名門校みたいなところがいっぱいあって、そいつらを初心者4人で倒しにいくぞ!っていう感じですね(笑)。
――青春映画みたいですね(笑)。高校時代って、遊びでバンドをやって、進学すると解散しちゃうバンドも多いけど、モチベーションが全然違うというか。
まえす とにかく売れよう、売れようっていう気持ちはありますね。
――ライブは活発にやってたんですか?
アントニー 1年生のときからライブはやってます。
まえす 顧問の先生にも、「ライブをさせてください」ってガツガツ言ってました。とにかく、いろんな人たちに自分たちを知ってもらいたくて。
――たくさんの人に知ってもらうのであれば、たとえば、最近はYouTubeのミュージックビデオから人気が出るバンドも増えてるけど、あくまでライブにこだわりたかった?
まえす YouTubeとかだと、僕が本来伝えたいことが伝わらないなと思ったりもするんですよね。自分たちはライブバンドとしてやりたいから、目の前で生の衝撃を見てくれっていう想いが強くて。もちろんYouTubeでライブ動画とかミュージックビデオを配信することもやっていくんですけど、まずはライブで伝えられる力をつけたいっていうのはありますね。