【インタビュー】SHO-SENSEI!!は新たなJ-POPを作る道の途中。孤高にヒップホップを極めた最新EP『SCRAP』とその先を語る


『THE BLUES』『THE TELESCOPE』の2作を作ったことで、自分の中で出たSHO-SENSEI!!という輪郭と自分の好きなヒップホップを混ぜて、自分なりのヒップホップを作ろうと思ったのが『SCRAP』でした

――昨年リリースした3rdアルバム『THE BLUES』、4thアルバム『THE TELESCOPE』と最新EP『SCRAP』では、音楽性の変化、特にロックやヒップホップの要素をどういったバランスで取り入れるのか、というところが変わっているように感じました。SHO-SENSEI!!としては昨年2枚のアルバムをリリースして以降、どんなことを考えて『SCRAP』を作ったのでしょう。

「音楽だけじゃなくて僕自身が両極端な性格で、『THE BLUES』『THE TELESCOPE』は優しい状態の僕というか、ちょっとマイルドな感じで。僕はずっとヒップホップが好きでやってたけど、この2作はそのあとに影響を受けた邦ロックとかポップスの要素が強いアルバムだったんです。でもライブをいっぱいやっていく中で、少し物足りない感じがして。やっぱりヒップホップが好きでそういうライブをしたかったから、そういう曲群を出したいなというのがずっと頭にあって。『THE BLUES』、『THE TELESCOPE』の2作を作ったことで自分の中で出たSHO-SENSEI!!という輪郭と自分の好きなヒップホップを混ぜて、自分なりのヒップホップを作ろうと思ったのが『SCRAP』というEPでした。なので両極端な感じになったのかなと思ってます」

――SHO-SENSEI!!がやりたいヒップホップ的な「そういうライブ」というのを、もう少し教えてもらってもいいですか。

「ライブをやったとき、お客さんはめっちゃ歌ってくれていたんですけど、棒立ちで。歌ってくれたのは嬉しいんですけど、僕の理想としては、プラス、跳ねてほしいんです。しかもポップス的な跳ねというより、ヒップホップ的なちょっとチャラい跳ねが好きなので、その跳ねをこの人たちにしてほしいなと思って。『THE BLUES』と『THE TELESCOPE』もそれを前提に曲は作っていたんですけど、あまり伝わってなかった。その部分がもうちょっとわかりやすいようにできたらなと思って『SCRAP』を作りました」

――ツアー「SHO-SENSEI!! LIVE TOUR『SCRAP』」の合間にこの取材を受けてくれているわけですけど、どういう人たちがSHO-SENSEI!!のライブに集まってきている実感がありますか。

「ファン層に輪郭がなくて。ヒップホップファンももちろんいるし、普段邦ロックのライブに行ってるような子もいるし、ライブハウスに初めて来た子もいて。そのどれもが平等にいる感じがします」

――実際に『SCRAP』の曲をライブでやってみて手応えはどうですか。跳ね方、ノリ方は変わってきた?

「変わってるけど、お客さんからしたら初めての体験でもあるから、場所によっては戸惑ってたり、どうノるかを見て学ぼうとしてるみたいな感じです。そこが今回、難しいなと思いながら見てます」

――でもそれってつまり、新しい音楽を提示している表れでもありますよね。

「と思って、頑張ってます」

ヒップホップとロックを合わせることを軸に活動していこうと思ったことは一度もなくて。明日には全然違うものにハマって、全力でそれをするかもしれない。それより何を歌うかのほうが大事かなと思う

――SHO-SENSEI!!がやりたい音楽とはどういうものであるかをもっとひもときたくて、そのためにルーツも辿りたいんですけど、ヒップホップはどのあたりを聴いてました?

「海外のヒップホップは基本的に全部ルーツになってます。12歳から聴いてて、最初にハマったのは90年代とか2000年代初頭のゴリゴリのヒップホップだったんですけど、そこからUSのチャートに入ってるようなクラブ的な曲もいっぱい聴いたし、同時に、地方で牙を研いでるような有名ではないラッパーのミックステープも死ぬほど聴きました。ヒップホップ系は、USは全部通りました」

――日本のヒップホップは?

「日本の音楽を聴くということをしてこなかったので、まったく聴いてないです。10代がゆえの『ダサいっしょ、日本の音楽は』みたいな偏見もあったし、海外で音楽する気だったので、海外の音楽だけをずっと聴いてました」

――そこから日本のロックやポップスを聴くようになったのは、どういうきっかけで、どういうところに惹かれたのでしょう。

「後輩に『尾崎豊聴いたことありますか? めっちゃいいですよ』って言われて聴いてみたらよくて、そこから尾崎豊を掘りだして。そのタイミングで、親父が(忌野)清志郎がめっちゃ好きだったことを思い出して聴いたり、仲良くなった友達がTHE BLUE HEARTSが好きで聴くようになったり。僕が日本の音楽を好きじゃなかった理由のひとつに、『この歌詞やこの感じだったら、誰が歌っても一緒やん』とちょっと思ってたというのがあるんですよ。僕の好きなUSの人らは自分が生まれた街の話をしたり、リアルな友達の名前を出してたり、『亡くなった親友ジェームズのためのアルバム』があったり。『その人が歌ってるから成り立っている歌』が僕は好きなんですけど、尾崎豊を初めて聴いたとき、それがすごく理解できた。尾崎豊、清志郎、THE BLUE HEARTS、それぞれ曲の雰囲気や内容は違うけど、自分自身と地続きの活動をしているように感じたし、『この人が歌ってる』というのがすぐわかる感じに惹かれました」

――SHO-SENSEI!!は、ヒップホップとロックのビートやサウンドの掛け合わせだけでなく、それぞれの精神性も掛け合わせて新しいものを提示している存在だと私は思っているのですが、そう言われるとどうですか。

「どうなんですかね。ロックの精神性はまだ全然理解できてないかもしれないです。まだ浅いので。とりあえず僕が思ってること、僕が歌えることを、僕の言葉でちゃんと書こう、歌おうということだけはずっと意識してます」

――ヒップホップのカルチャーや精神性については、どういうところに魅力を感じますか。

「いろんな面があるんですけど、精神性の部分でいったら『許容』というのが大事かなと思っていて。あんまり詳しくない人からすると『アメリカからこういう音楽が出てきている』って感覚だと思うんですけど、細分化すると地域によって全然違う。たとえば、西海岸で2PACが攻撃的なことやリアルを歌っているときに、ニューヨークではヒップホップがクラブカルチャーになって踊れる曲が流行っていて。同じニューヨークでもJAY-Zはめちゃくちゃリリシストなことを必死に勉強して頑張っていたり。全員が互いをリスペクトしながら自分の闘いをやっていて、『それが流行ってんねや。俺はこれがいいと思ってるけど』みたいなことが常に各地域で起きている。そこに順番にスポットが当たっていっているから、トレンドも変わっていく。『これが流行ったんや』というより、『これやってたやつが次かましたんや』みたいな。僕はそれがすごく好きで。だから僕も地球規模で見て、『今USではこういうヒップホップやポップスが流行ってるけど、日本で俺は今これをやってる』という意識でやってます」

――SHO-SENSEI!!として今貫きたい「これ」というのは、言葉にするとどういうものであると自覚していますか。

「まず日本語であることは絶対に大事かなと思います。サウンド感は常に変わり続けると思っているので。僕はヒップホップとロックを合わせることを軸に活動していこうと思ったことは一度もなくて。明日には全然違うものにハマって、全力でそれをするかもしれない。それより何を歌うかのほうが大事かなと思ってます。自分の具体的な経験を歌うということと、僕は小説や絵が浮かぶような言葉がすごく好きなので、歌詞を通して絵が浮かんだらいいなと。登場人物がちゃんといて、その人が今どんな表情で何をしているかが、具体的に1曲の中で伝わればいいなって」

――尾崎豊、THE BLUE HEARTS、忌野清志郎に惹かれた理由と同じように、SHO-SENSEI!!にしか歌えない歌を作ることが何より大事だと。「J-POPを作りたい」というマインドも持っていると思うのですが、そもそも「J-POP」の定義をどう捉えていますか。

「日本人の音楽全部J-POPかなって。コリアンタウンに行ったらBTSがいっぱい流れてるけど、海外で日本の店へ行っても『めっちゃ日本やな』と思う音楽ってそんなにないので。そういうときに流れる音楽になったらいいなとは思います。いちから作ろうと思ってます」

――認められたものが「ポップス」だという定義づけもできるし。

「そうですね。昨日くらいにそれを思いました」

――昨日、何を考えていたんですか?

「やっぱりヒップホップが好きなので、そっちのシーンにアプローチできたらいいなと思ってたんですけど、『SCRAP』を出してみて、そこに固執してるのは微妙やなと思ってきて。僕が今持ってる自分の手札、能力、やりたいこと、できること、起きてることを見たら、ヒップホップシーンに固執することって全然大事じゃないように思えてきたんですよ。それよりも、音楽のライブに来たことない人が僕のライブにいっぱいいるというありがたい状況をちゃんと見て、僕の音楽が好きな人たちに輪郭を与えるというか、その人を一瞬見ただけで『お前、SHO-SENSEI!!好きなんちゃう?』ってわかるくらい、僕がもうちょっと輪郭を出せるようにやっていけたら、それが新しいポップスなのかなと。今J-POPでいい感じにかましてる人らって、各々それをやってきた人かなとも思うので」

――「今J-POPでかましている人」と言ったときに、SHO-SENSEI!!の中で思い浮かぶアーティストは誰ですか。

「たとえばKing Gnuさんとか。最近より広がってきたので言うと羊文学とかもそうやなと思うし。流されないで自分の色をずっと持っていた人らがバランスの取り方を見つけて、ポップスとして広いところに受け入れられているのは見ていて気持ちいい。それを目指したいなと思います」

ずっと乗っていた飛行機が壊れたような感覚だった。『SCRAP』はそれを直そうというEPでした

――『SCRAP』はコンセプチュアルな作品になっていますよね。どういうことを描いたEPだと言えますか。

「EP全体に対して浮かんでいた絵があって。『星の王子さま』、読んだことありますか?」

――はい、あります。

「『星の王子さま』って、パイロットの『ぼく』が砂漠に不時着しているときに王子さまと出会うんですけど、その『ぼく』のつもりで作ったというか。砂漠に飛行機が不時着して、飛行機を直しているっていう状況がずっと頭にある中で作ったのが『SCRAP』というEPです」

――「大切な人との別れ」というのがひとつ背景にあるんだろうとは思うんですけど、「飛行機の不時着」「飛行機が壊れている」という比喩表現で、自分のどういう出来事や心情を表現したかったのでしょう。

「特別『これがあった』というわけではないんですけど。もし『今、どういう気持ちなん?』って聞かれたら、ずっと乗っていた飛行機が壊れて直しているような感覚だったというだけですね。たとえばちょっと病気になったとか、プライベートのパートナーのこととか、具体的なことはいろいろ言えるけど、それがすごく大きかったかと言われると実はそうでもなかったりして。特に原因がないにしろ、僕の心が飛行機が壊れたような感じだったので、それを直そうというEPでした」

――音楽にしなきゃ保っていられないくらいの状態だったのか、それともシンガーソングライターとして冷静にそういった状態を音楽にしてみようというスタンスなのか、どっちだったと言えますか。

「日記のように曲を作っているので、どちらとも意識してないです。曲を作ることが日常的すぎて。飛行機の話を頭に浮かべながら“Oil”を作っていたんですけど、ムードとか曲のオーラが好きで。そのときに頭に浮かんだものをEPとして出したいなと思って、ちゃんと向き合って曲を作ったというのはありました」


――日記のように曲を書く中で、歌詞にしたくなる出来事や心情ってどういうものですか。このEPに限らず、SHO-SENSEI!!特有の温度感や儚い空気感みたいなものがあると感じていて、それはどこから湧いてくるものなのかなと。

「すごく健康な状態のときにはそんなに曲を作らないので――まあ、健康な状態のときってそんなにないんですけど、それは別に病んでるという意味でもないんです。僕の曲に、めっちゃ悲しい曲はないと思ってるんですよ。けど、常にちょっと不安な状態ではあって、それが曲になってると思います。『0』を悲しい、『10』を幸せとしたら、『4』あたりをずっと彷徨ってるのかなと思ってて。落ちているときはまったく音楽を作らないんですよ。だるいし、やる気起きないので。僕が音楽を作ってるときは大体『4』くらいなので、それが自然と出るんだと思います」

ポップスとか邦ロックを使って、僕のヒップホップのノリを表現したい。日本の材料だけ使ってイタリアンを作るみたいな感じです

――これも今作に限らず、生死にまつわることとか、死に対するものが歌詞に滲み出ていると思うんですけど、「死」というものを強く意識するのはなぜなのでしょう。

「いろんな原因があると思うんですけど。1回、事故で死にかけたことがあって。カナダで時速70キロの車にはねられたんですよ。でも平気で生きてて。病院の先生にも『このパターンで生きてたのは見たことない』みたいに言われて。『なんで生きてたのかわからへん』っていろんな人から言われるうちに、もうちょっと頑張るべきことがあるんやろうなという思いにはなりました。あと、2016年から2019年、僕が17、18、19歳くらいのときに夢中やったアーティストが3人、21歳くらいで亡くなってて。僕もそのくらいのときに死にかけたので、いろいろ考えるようにはなりました」

――それは人生においてめちゃくちゃ大きい出来事じゃないですか。

「かもしれないです。でも正直、訊かれないと出ないくらい薄い出来事でもあります。日頃はそんなに意識してないですね」

――自分の人生の中で衝撃的な出来事って、ほかに何かありますか。

「省略して話すと……カナダにいるとき、ジャパンフェスみたいなイベントに出ることになって。同じように日本から来たアーティストの女の子が『私も出たい』ってなって、俺が曲を作るって言ったんです。で、自分はできると思ってたけど、その子に『ここはこうして』とかって言われたときに、自分の能力ではできないことがあまりにも多すぎて。それを認めずにのらりくらりかわそうと思ってたんですけど、その子に『あなたは本気で音楽やるとか言ってるけど、私に正直に話もできない時点で本気じゃない』みたいなことを言われて。最初は『何言っとんねん』って思ったんですけど、その子の打ち込む姿勢とか、やってることのガチ度を見たときに、自分が雑魚すぎてしんどなって。それで考えすぎて、自分のことを追い込みすぎて、バイト中に気を失って、そこから1週間くらいほとんど記憶なくて(笑)。その時期が大変でした」

――それは、音楽に向き合う姿勢が変わったきっかけとして大事な話ですね。

「めっちゃ大事やったと思います。音楽だけじゃなくて、人として生きていくうえで。自分ができないことはできないと言うとか、言ったことはやるとか、小学生でもわかるような人生の大事なことをそのときに学んだというか。そこからボイトレに行きだしたり、できないけど気にしてなかったことをちゃんとできないと認めて、勉強したり人に教えてもらったりするようになりました」

――次はどんなことをやっていきたいか、何か思い描いていることはありますか。

「さっき言ったように、去年出したアルバムのライブのノリだとちょっと目指している部分とは違うかなというのがあって、『SCRAP』を出したけど――こういう言い方したら調子乗ってるけど――ちょっと偏差値が高かったのかなと思っちゃって。なので、『そこ(前作2作)』と『ここ(『SCRAP』)』の間に補助線をちゃんと引いてあげるものを出したいなと思ってます。今回はSHO-SENSEI!!の感じに落とし込んで僕のヒップホップを出したけど、みんながわかりやすいポップスとか邦ロックを使って、僕の出したノリを表現したい。日本の材料だけ使ってイタリアンを作るみたいな感じです。『SCRAP』は、イタリアンを作りたかったからイタリアンを出した感じだったけど、日本人には受け入れられなかった。みんなが親しんでる日本食の具材を使うけど、ちょっとおもろい使い方をして『イタリアンやねん、実は』みたいな感じを出そうかなって」

――その行く先で「J-POPのSHO-SENSEI!!」という位置を確立するというのが今の夢であると。

「そうですね、一旦は。もともと僕は海外で音楽をしたかったので。海外で音楽をするためにカナダへ行って、カナダの人と喋ったりいろいろな体験をした結果、海外に行くいちばん近い生き方は日本でかますことやっていう見解になったんです。日本でかますことは一歩目だと仮定して、それを経たうえで、『世界でこういうことが起きてるときに、日本にはこういうやつがいるんやで』というのを全員がわかるようにしないとなと思ってます」


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“エレキ”MV


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配信EP『SCRAP』


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