桑田佳祐/東京ドーム

桑田佳祐/東京ドーム - All photo by 岸田哲平All photo by 岸田哲平
ポップミュージックのライブはここまで行ける、という完成度の高さに、終始笑顔のまま打ちのめされてしまうステージであった。ソロ活動30周年の節目を刻むアルバム『がらくた』を携えた、全国18公演のアリーナ/ドームツアー。この日はその6公演目にあたる、東京ドームの2日目だ。以下本文は少々のネタバレを含む内容になるので、今後の各地公演を楽しみにされている方は閲覧にご注意を。ライブ参加後に読んで頂けると嬉しいです。

現在の桑田佳祐ソロ活動は2016年から引き続き行われているもので、ライブも昨年末の横浜アリーナや『がらくた』リリース直前のビルボードライブ、そしてROCK IN JAPAN FESTIVAL 2017出演と観た。なのに、幸せすぎて肌が粟立ち総毛立つようなライブ体験になるとは、一体どういうことなのだろう。生まれながらのグレイテストヒッツである『がらくた』収録曲の素晴らしさを第一として、ツアー「がらくた」はその最高の素材をどう調理して提供するか、という段階に来ている気がする。つまり、最高なのは分かりきっていて、公演ごとに「どう最高なのか」を確かめるツアーなのである。

柄物のジャケット&ハットという装いで登場した桑田は、先日検査を受けたことに触れ、「内視鏡検査、大丈夫でした!」と5万5千人を喜ばせるのだが、他でもない彼自身も目を細めて心底嬉しそうな表情を見せる。働くポップスターとしての責任感と安堵感は、僕には到底想像も及ばないものだろう。何が言いたいかというと、そんな彼の喜びが、そのままパフォーマンスの爆発力に転化されているように見えた、ということだ。哀愁も悪ノリも怒りも幸福感も、全方向に向けて凄まじいエネルギーが放射される。
桑田佳祐/東京ドーム
情熱と官能の記憶をなぞるダンスミュージック歌謡“大河の一滴”では、TIGER(Cho)との男女のセリフの掛け合いでなじられてしまう展開に笑うし、深みのあるジャズピアノに導かれて泣き濡れる“簪 / かんざし”はもはや2017年のスタンダードだ。少し照れ臭そうに「もう60(過ぎ)だけど、まだまだひよっこ」と告げて満場の温かなコーラスを誘う“若い広場”の、ささやかな幸せを描く尊さ、かけがえのなさ。そして“ヨシ子さん”の、時代錯誤なふりをして完璧に時代を書き換えてしまう驚異的なバイタリティと知性の迸り。
桑田佳祐/東京ドーム
昨年のシングル群から『がらくた』にかけて届けられてきた楽曲群の数々は、いずれも往年の名曲たちにまったく引けを取らない輝きを放っている。キャッチーな響きを保ったままくるくると表情を変えるハイブリッドな音楽性と、物語や感情を克明に伝えるためにしたためられた歌詞の精度の高さは、まさに最高峰の日本のポップソングの歴史に連なるものだ。ライブではそれを、辣腕の大所帯バンドが極上のアレンジとダイナミズムをもって調理するのである。
桑田佳祐/東京ドーム
最新アルバムを『がらくた』と名付けることが出来た意味は想像以上に大きかったのだと、今回のライブを観ながら思った。アイデンティティや立場を自ら揶揄するようなネーミングは桑田作品の常套手段だが、自らをがらくたと位置付けることで、消費される大衆音楽の、偉大なる役割や方法論と彼自身を重ね合わせることが出来たということ。だからこそ、塗り重ねられた甘酸っぱい記憶も、急激な時代の変化にさらされる焦りや怒りや愚痴も、ライブ会場に集まり来る喜びも、すべて人々のための歌として解き放ってみせた。『がらくた』という名盤に触れた人なら、誰でも知っていることだ。

大概の場合、がらくたと呼ばれるものは、それを所有する本人にとっては大切な宝物に他ならない。ポップスターとしての立場で大きな責任を背負い、重ねてきた年輪に嘆き戸惑いながら、今や桑田佳祐は宝物のようなポップソングそのものになった。我々が、今回のツアーで目の当たりにするものはポップソングという名の怪物である。これから年の瀬にかけて、何万人の人がこのとんでもないステージを体験するのだろう。それを考えただけでもワクワクする。(小池宏和)

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