向井秀徳アコースティック&エレクトリック×outside yoshino @ 新宿紅布

『紅布 The 7th Anniversary 8月の絶対領域』。この日のためにブッキングされたのは、日本を代表するロック・バンドのフロントマンによるソロ・プロジェクト二組。両者の共演歴はもうずいぶん長く、もはや切っても切れない同志たちの、ディープな、心熱くさせる夜になることは予め約束されたようなものであった。紅布さん、ありがとう。そして7周年おめでとうございます。紅布のような、小ぶりだけど大変に趣のある会場でこの両者の共演を観ることができるのは、真の贅沢に他ならないと思う。

黒いキャップを被ってビール片手に先に登場したのは、言わずもがなeastern youthの吉野寿として知られるoutside yoshino。「いま、7時37分。俺の持ち時間は8時25分まで。悪いけどそれまで一歩も動かねえよ? 一人でやるとき、いつも酔っぱらってたの。反省したんだ。で、呑まないで何度かやってみたんだけど、面白くないんだよね。だから今日は、くるくる寿司で、あーくるくる寿司ってのは北海道弁だ。回転寿しで、ちょっと呑み過ぎちゃった」。もう、見るからにゴキゲンである。ギターを手に歌い始めたのは、自己紹介ソング風に替え歌にした“世界の国からこんにちは”。《申年でーす 後厄でーす 握手をしようー》と、まずは小手調べに笑いを振りまいてくれる。

しかしここからは、吉野らしい、エモーショナルな爆音ナンバーを次々に放っていった。開演前にも自ら「言っておくけど、うるせえよマジで」と注意を促していたけれど、ディストーショナルな大音量ギターに歌を乗せて届けてくる。でも、いつだって彼の音像は、嫌な音という意味での「うるさい」だったことはない。むしろ、なんでこの爆音の中からも、するすると歌が伝わってくるのだろう、と不思議に思うほどだ。爆音が、物語の背景なのだ。歌の合間には左手でエフェクターを操作し、統制された美しい残響音でフロアを満たしたりもしていた。

「12歳でギターを兄貴に貰ったんだけど、どうしたらいいのか分からなくてさ、とりあえずステレオに繋いでみたら、バァーン!って凄い音がしてさ、何かが開けた気がしたの。冬なのに窓を全開にして、俺はフラストレーションの塊だし、嫌われもんだからさ。今もそうだけど。窓の外は全部が敵だから、全部に攻撃してやろうと思ったわけ。そしたら、隣の家の飼い犬が窓の下にいるんだけど、俺がバアアアってギターを鳴らす度に、ワワワワワワン!って吠えるんだよね。俺がぜーぜーって休むと、犬もぜーぜーって休んで。また繰り返して。俺は今でも、その気持ちは大事だと思ってる。そういう歌」。

そんなエピソードを丸ごと放り込んだナンバー“三べん廻って吠えまくる男”だ。吉野節の原点を垣間みるような、鬱屈した感情とリビドーにまみれた一曲であった。さっきまで明らかにほろ酔い加減だった吉野は、しかしギターを手に歌っているときには完全に覚醒している。歌に生きるそのさまが、彼の全身から伝わってくるようだ。「(フロアで缶が開けられる)プシッ、って音がいいね。あとこう、前の方にはめ込まれるとさ、熱演してんなー、トイレいきづれえなー、ってなるじゃん。どんどん行って下さいね。それか、漏らして下さい」。

カバーとして一曲取り上げられたのは、ムード歌謡の女王=松尾和子のレパートリーで、作詞作曲を泉谷しげるが手掛けた“夜のかげろう”だった。吉野は、「年取るとわかるよ、この歌の切なさが」と言っていた。人生の悲哀に満ち満ちた、本当に切ない歌だった。人間の生涯は、悲しい。それを大前提として歌い込んだような一曲だった。爆音で、咆哮で、そして口笛で。悲しみを描き出しながら、ときに突き飛ばすように悲しい人々の背中を押してやる、完璧な吉野節が放たれたステージ。最後に披露されたのはイースタン・ユース1996年のシングル曲“裸足で行かざるを得ない”であった。この8月4日にはイースタンの新作DVD『ドッコイ生キテル街ノ中』が発売されるが、今年になって吉野のソロ・プロジェクトにおけるレコーディング名義「bedside yoshino」のアルバム群も、全国流通されるようになった。ぜひチェックしてみて欲しい。


「はい! はい行こう」とステージに立った後攻の向井秀徳。素っ裸のテレキャス・サウンドが、ソリッドなカッティングを聴かせている。2曲目にプレイされたのは“TATOOあり”だ。断片的な言葉がパーカッシブに、次々に連なって、映像的に浮かび上がってくる向井独特のボーカル・ワークが炸裂する。「MATSURI STUDIOからやって来ました、ジス・イズ・向井秀徳でございます。薄着の女性の方が多いんじゃないかと期待しておりました。もしかしたらビキニの方とかいるんじゃないか、と思っておりましたが、残念です。本日は暑い中お集まり頂きまして、ありがとうございます」。

“SAKANA”と紹介された一曲では、鋭く短いカッティングや印象的なメロディのリフレイン、それにスクラッチ音など、さまざまなギター・フレーズがループの中で塗り重ねられ、奇妙だが中毒性の高いトラックを構築していった。そして今度はZAZEN BOYSのナンバー“Water Front”だ。言葉とメロディがラップすら追い越す情報量と精度で紡ぎ上げてゆく、圧巻のストーリーテリング。更には、低音弦のチューニングを下げて、広がりと迫力のあるギター・サウンドが時折仄かにチャルメラのメロディを響かせる“The Days Of Nekomachi”へと連なる。ここでもまた向井はアシッドなループを構築し、そして片手で2本目のビール缶を開けニヤリとしてみせた。ソロの舞台で、これだけ聴きごたえのあるナンバーに生まれ変わっているのだから、ナンバガやザゼンの楽曲群も幸福である。

「あー、夏ですねえ。夏は、童謡のコーナーをお届けしたいと思います。秋でも冬でも、やるんですけども」。そう告げてまず披露されたのは“赤とんぼ”であった。極めてゆったりとしたギター・プレイに合わせて、なじみ深いメロディと歌詞が聴こえてくる。歌い終えると、「バイ・コウサク・ヤマダ!」とクレジットを紹介していた。続いては、「バーン! ババーン!」と大きな声で人力イントロ&アウトロを加えながらの“七つの子”だ。ディレイを加えたテクニカルな、そして幻想的なギターのバッキングが美しい。短い童謡をカバーするにも、いちいちオリジナリティを追求しようとする向井の姿には心躍らされる。

“The Girl in The Kimono Dress”と紹介されていた、これまた僕にとって初めて耳にするナンバーは、柔らかく低温のギターがリフレインして奏でられてゆく、独特の情緒を孕んだ曲であった。そして堂々たるボーカルでナンバーガール時代からの作品“性的少女”を歌い終えると、この日のクライマックスとなる“自問自答”へと傾れ込んでゆく。「MATSURI STUDIOからやってきました、ジス・イズ・向井秀徳。本日は、ありがとうございました」とイントロの中で挨拶を済ませ、言葉数と感情の濁流と化すその一曲が披露されていった。意味が楽曲のテンポとともに、まるで筒の中に砂を固く詰め込むようにして聴き手の胸の中へ深く入り、抜けなくなる。人類が過去から未来永劫、決して逃れることのできない悲しみが、ザラついた言葉の中から沸き上がってくる。歌詞の舞台にもなっている新宿でこの歌を聴いたことが、更に感慨を強めた。本当の意味でポップな歌というのは、こういう歌のことを言うのではないだろうか。言い難いことを、しかし誰も疎外せずに歌う歌だからだ。

吉野と向井は、ギターの音色や弾き方が違うし、ボーカル・スタイルもまるで違う。テーマに向き合う切り口や角度も違う。でも、人間の「絶対的な悲しさ」をテーマに歌い続けているという点で、両者は共通している。二人の交流の根本にも、そのことがあるのではないだろうか。新宿ゴールデン街を掠めて歩く帰路、建物の間に淀んで流れない粘ついた人いきれが、この夜はなぜかいつもよりも愛おしく思えた。(小池宏和)
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