日本マドンナ @ 新宿紅布

6月6日に出た新しいミニ・アルバム『バンドやめろ』のリリース・ツアー、東名阪3本のファイナルにして、バンドにとって2度目のワンマン。場所は彼女たちのホーム、新宿紅布。まずセットリストです。

0 ラップ
1 幸せカップルファッキンシット
2 徴兵制度
3 畜生
4 バンドやめろ
5 アンチ大人
6 アイドル
7 メディアダンス
8 あるがままに
9 ファックフォーエバー
10 村上春樹つまらない
11 アンチポリス
12 汚したい
13 おまえを墓場にぶち込みたい
14 クツガエス
15 死ねと言われて安心した
16 生理
17 どうせ血と骨と肉のかたまり
18 世情
19 脳内殺人犯懲役死刑
20 東京病気女子高生
21 オデッセイ・1985・SEX
22 田舎に暮らしたい

アンコール
23 これしかないのに

と、全部で23曲。持ってる曲全部やったんじゃないか? と思ったが、家に帰って検索してみたら、まだ他にもありました、曲。なお、0曲目の「ラップ」というのは、ライヴの冒頭でいつもやっている……今は「いつも」じゃないか、でもわりとおなじみのラップです。『卒業制作』と『月経前症候群~PMS~』の頭に入っているやつ。8曲目は、終演後にスタッフにもらった(たぶん)あんな手書きのセットリストには「れるび」と書いてありましたが、曲紹介では「あるがままに」と言っていたのでそっちにしました。これもずっと前からやっている、ビートルズの“レット・イット・ビー”に日本語詞をつけた曲(翻訳ではなく別の歌詞です)。続く9曲目は『バンドやめろ』にも入っていない、つまり最近できたと思われる新曲。18曲目は、中島みゆきのカヴァー。初めて聴いた、日本マドンナバージョン。ものすごいもんでした。21曲目は『バンドやめろ』収録の、遠藤ミチロウのカヴァー。という、こんなところでしょうか、ひとこと説明したほうがいい曲は。あとは普通にオリジナル曲です。普通な曲、1曲たりともありませんが。とにかく、「ニューアルバムのツアー」というよりも、バンドの歴史をすべて見せるような内容だった。ワンマンだったせいだろうけど。

で。もう、とにかく、最高でした。今にも腱鞘炎になりそうな叩き方なのに、80年代ポジティヴ・パンクみたいなおそろしくかっこいい音をドラムからひっぱり出す方法を知っているさとこ。チューニングが狂えば狂うほど音がかっこよくなっていく「ギターを選んだのではなくギターに選ばれたプレイヤー」まりな。観るたびに歌がどんどん万能感を帯びていく、メロディも声の出し方もずんずんワン&オンリーな世界へ突き進んでいくあんな。3人が3人もこれほど目が離せないバンド、そうそういないと思う。かっこいいとは、こういうことを言う。パンクとは、こういうことを言う。そして、真剣とは、こういうことを言う。そういうライヴだった。というか、そういうバンドだ。途中で、ひゃあひゃあ笑っているお客に「なんで笑うの?」とあんながきいていたが、僕も本当に同じことを思った。「何がおかしい!」と頭にきたんじゃなくて、単に、「何が笑えるんだろう?」と不思議だった。こんなにシリアスなロック、ほかにないのに。

よく言われるし、僕も何度も書いたことがあるが、日本マドンナのやっていることは、80年代の日本のパンク・バンドのそれにとても近い。もうすぐ44歳の僕が高校生の頃聴いていたものを、なんで2012年の今に20歳前後の女の子たちが体現しているのかわからないが、ザ・スターリンとか赤痢とか、町田町蔵とか戸川純とか、そういう音楽です。現にミチロウとかカヴァーしているわけだし、本人たちがそういう音楽を好きなのも間違いないと思う。
ただ、大きく違うポイントがあることに、この日、気づいた。彼女たちがルーツとする80年代のパンク・ミュージシャンよりも、彼女たちの方がせっぱつまっているし、シリアスなのだ。田舎の高校生だった僕にとって、町田町蔵はそりゃあもうおっかないもんだったし、スターリンはもうはっきりと「狂気」と認識していたが、今思うと、どっちもどこかユーモラスなところがある。スターリンの“天ぷら”とか“泥棒”とか、実は笑えたりもする。でも、日本マドンナには、そういうところはない。村上春樹はつまらないということを歌ったり、生理とか汚したいとかアンチポリスとか言っているのに、一貫して常にシリアスだし、攻撃的ではあるけど、シリアスなあまり悲壮感のようなものも漂っているように思う。
なんでか。80年代のパンク・バンドが、過激なパフォーマンスやむちゃな歌詞で、僕のような田舎の高校生の耳にも届くほど話題となっていた当時と今では、時代が全然違うからだ。当時、そんな好き放題なことを歌っているパンク・バンドの……もっと広げると、ひんしゅくを買おうがなんだろうが、自分の言いたいことを言ってやりたいことをやっている人の敵は、つまり、そういう人をスポイルしてくる存在は、たとえばPTAだったり、教育委員会だったり、文部省だったり、各種の団体だったり、警察だったり、放送コードという名の自粛だったり、原発産業に携わっている大企業だったりした。遠藤ミチロウやRCサクセションやビートたけしは、その中でつぶされそうになりながら戦っていた。では今は、そんなふうに言いたいことを言っている人をつぶしにかかってくるのは誰でしょう。普通の人たちです、ご存知のように。一般の、そこらへんの人たちです。テレビのCMにいちいち「CM上の演出です」と入れなきゃいけないのも、雑誌でもウェブでもその他でも、ちょっとでも極端なことを書くと「炎上するかもしれないから」と自粛を促されたりするのも、そのせいです。そんな一般の人たちが正しいから自粛する、のではない。「からまれるとめんどくさい」からだ。だから、どんどん無難なことしか言えなくなっていく。で、何も言えなくなっていく。つくづく、イヤな世の中だと思う。

つまり、80年代に好きなことを歌うのと、2012年の今、好きなことを歌うのでは、リスクがケタ違いだ、という話です。でも、日本マドンナはそれをやっている。過激なことを言ってやろうとか、むちゃな歌を歌ってやろうとか、そんなこと別に考えてないと思う。ただ、「めんどくさい」なんて理由で、言いたいことが言えない、歌いたいことが歌えない、ということになるのが、そんな現実を容認するのが、とにかくイヤなんだと思う。だから、それに全力で抗っているし、何を言われようが貫くし、でもそんな状態なんだからユーモラスになれるわけないし、シリアスになるしかないんだと思う。

前にも書いたことがあるが、もう一度書いておく。断固、支持します。(兵庫慎司)
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