ドレスコーズ @ 日本青年館

the dresscodes TOUR 1954

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ドレスコーズ @ 日本青年館
ドレスコーズ @ 日本青年館
ドレスコーズにとって初めてのツアー『the dresscodes TOUR 1954』。そのファイナルの会場に選ばれたのは、日本青年館。この会場の名前を聞いて、DVD化されたTHE YELLOW MONKEYの1993年のライヴを思い出す人も多いはず。あれから20年。ドレスコーズは、日本青年館に新たな伝説を刻むのか? 期待を膨らませたオーディエンスで、客席は埋め尽くされている。延々と流れ続ける前衛的なノイズに脳みそを満たされながら、開演を待った。

客電が落ちると、まずは丸山康太(G)、山中治雄(B)、菅大智(Dr)の3人が現れ爆音を鳴らし出し、混沌を野蛮に斬り裂いていく。そして、いよいよ志磨遼平(Vo)が登場。1曲目の“誰も知らない”へ……この時点で、うわぁ、と息を飲んだ。何て、純粋なロックバンドとしての、わかりやすいカッコよさを湛えているバンドなんだ!と。音も背もデカい4人は、圧倒的なインパクトで、オーディエンスに迫ってくる。そして、甘くざらついた“Lolita”、生まれたばかりのようなキラメキを持つ“リリー・アン”と畳み掛けていく。結成されて一年余りであり、一人一人が立っているバンドだけに、ゴツゴツとぶつかり合っているようなグルーヴ感だけれど、何だか、そこに堪らなく物語と可能性を感じてしまう。

ドレスコーズ @ 日本青年館
ドレスコーズ @ 日本青年館
「僕らが噂のドレスコーズ。最後まで楽しんで帰って」という志磨の言葉に感じたドキドキは、次のジャジーな“TANGO,JAJ”で加速していく。菅のデカいアクションが目を引くドラム、山中の存在感たっぷりのベース、丸山のクールなのに前のめりなギター……志磨が食われると思うくらい、3人のキャラクターが強い。そんな中で志磨は、安心するように、自分の表現に没頭していく。志磨がギターを持った新曲、桃源郷を広げるようなバラード“パラードの犬”など、ずぶずぶとドレスコーズの世界観へと誘っていき、それは“Automatic Punk”で究極へ。真っ赤な照明に包まれて、原始の高揚を呼び覚ますように暴れ、奏でる4人。流石に茫然としてしまう。

しかし、続く“SUPER ENFANT TERRIBLE”で、志磨がオーディエンスに近付くように前に進み出て、座って歌いだしたあたりから、急速に会場は一つになっていった。さらに志磨は「僕らはドレスコーズ。誰にも似ていない、孤高のロックンロールバンド。ひとりぼっちのドレスコーズ!」と誇らしげに叫んだ後、こう言ったのだ。「そして、僕たちに、とてもよく似た君!」……その後に客席に起こった歓声が、本当に忘れられない。「ひとりぼっちは寂しいかい? 誰の支持も得られないのは悲しいかい? 僕がここにずっといてやるから! 悲しくなんかない!」。そこからはじまった”(This Is Not A) Sad Song“ではぐっと空気が解き放たれ、”ベルエポックマン“では志磨がオーディエンスを一人一人指さす。それはたくさんの生を肯定するような流れに映った。誰もが闇を抱えながら、ロックにすがって生きている。それが許されるのがロックであり、そんな僕らを繋いでくれるのがロックである。本編ラストの”Trash“が放つ眩しさを浴びながら、ロックに出会えた幸せと、改めてそれに気付かせてくれたドレスコーズへの感謝を噛み締めていた。

ドレスコーズ @ 日本青年館
熱狂的なアンコールに呼び戻された4人は、まず志磨の「青年館に捧げます」という言葉から新曲を披露し、本当のラスト“1954”へ。志磨の独白のような歌詞に、3人の音が寄り添い、オーディエンスが聴き入る。その光景を見ながら思った。もう、これは独白ではない。ここに居る、ドレスコーズを愛する、一人一人の歌だ、と。最後に志磨はギターを床に叩き付けて、ステージを降りた。

プロローグから一章へ向かう過程が、一時間半という短い中に凝縮されたような、素晴らしくドラマティックなライヴだった。これからも、ロックバンドの美しさと生きる力を体現しながら、行け、ドレスコーズ!(高橋美穂)
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