ジョー・コッカーが長い肺がんとの闘病の末、12月22日に他界した。享年70だった。
ジョーの代理人を務めるバリー・マーシャルは「ジョーの不在によってぽっかりと空いたわたしたちの心の穴をこの先埋めることなどできないでしょう」とその死を悼んだとITVニュースが伝えている。
1944年にサウスヨークシア州のシェフィールドに生まれたジョーは、その有名なしゃがれ声で歌い上げるブルースやソウルが身上で、特にザ・ビートルズの"ウィズ・ア・リトル・フロム・マイ・フレンズ"のカヴァーで知られている。ジョーが1969年にリリースしたファーストも『ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』というタイトルになり、ジャズ・スタンダード曲の"バイ・バイ・ブラックバード"やボブ・ディランの"女の如く"のカヴァーを収録していた。その後、ジョーは22枚のオリジナル・アルバムを発表し、最新作は2012年の『Fire It Up』となっていた。
ジョーのレーベルとなるソニー・ミュージックでは次のように声明を発表している。
「ご家族や友人、地元のみなさんや世界中のファンにジョー・コッカーとして知られた、ジョン・ロバート・コッカーが2014年12月22日にお亡くなりになりました。ジョーは長く肺小細胞がんとの闘病を続けていました。今年で70歳でした。ジョーは1944年5月20日に生まれ、20代前半までイギリスに住み続けていました(78年以降はのちに妻となるパム・ベイカーとアメリカに在住)。2007年にはイギリスの女王からOBEを叙勲されました。ジョーは1964年以来、ブルースやソウルの歌い手として各国で活躍し、今日まで活動を続けていました。ジョーはこれまで40枚以上ものアルバムを発表し、世界中を精力的にツアーして回り続けていました」
ジョーは特に1969年のウッドストック・フェスティヴァルでの名演が伝説として知られていて、その後94年に行われたウッドストックにも出演した。ビリー・ジョエルは最近のライヴで、ジョーの体調がすぐれないことを明らかにしていて、一刻でも早くロックンロール名誉の殿堂入りを果たさせたいと語っていた。
ポール・マッカートニーは次のようにジョーを偲んでいる。
「ジョーが亡くなったと聞いて本当に悲しいよ。ジョーは本当に気のいい北部のあんちゃんで大好きだったし、ほかのたくさんの人と同じでジョーの歌がぼくは大好きだったんだ。特に"ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ"をカヴァーしてくれて嬉しかったし、ジョンと(プロデューサーの)デニー・コーデルがサヴィル・ロウのスタジオ(アップル・レコードのスタジオ)に来てくれて、レコーディングしたものを聴かせてくれたんだけど、これがもう本当にとんでもなくて、この曲をソウル・アンセムへと完全に作り変えてあって、ジョーに対してそのことでいつまでも頭が下がる思いだよ。それからはずっと親友だと思ってたし、だから、体調を崩していると聞いて心配だったし、今日亡くなったと聞いてとっても悲しいね。とってもいいやつだったし、気のいいやつで、この世の中にたくさんのものをもたらしてくれただけに、惜しまれるよね」
その一方でリンゴ・スターは「ジョー・コッカー、さようなら、そして神様のご加護がありますように。友達の一人より。ピース・アンド・ラヴ」と追悼ツイートしている。さらにフランク・ターナーは「ええー。ジョー・コッカーの訃報を知って悲しい。とんでもない歌い手だった」とツイートし、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのトム・モレロは「R.I.P.(ご冥福を)ジョー・コッカー。素晴らしい声と心意気」と追悼している。また、新人シンガー・ソングライターのジェームス・ベイは「音楽にとってはかなりの打撃となる損失。最も嘘のない偉大な歌い手。R.I.P.ジョー・コッカー」と追悼している。
またジョーの友人で元イエスのリック・ウェイクマンはBBCラジオに次のように語っている。
「すごくいいやつだったし、才能もまた素晴らしく恵まれてたね。ジョーのことを愛していたご家族や友人のみんなにとっては本当に悲しいことだけど、ジョーみたいな人間の場合には遺してくれていったもののおかげで、ぼくたちはこれからも何年も何年もジョーと一緒にいられるっていうことが素晴らしいことだよね」
(c) NME.COM / IPC Media 2014
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