ザ・ストロークス、デビュー前の道程をアルバートとゴードン・ラファエルが振り返る

ザ・ストロークス、デビュー前の道程をアルバートとゴードン・ラファエルが振り返る

今年の夏にはプリマヴェーラ・サウンド・フェスティヴァルのほか、ロンドンのハイド・パークで行われるブリティッシュ・サマー・タイム・フェスティヴァルにも出演することを明らかにしているザ・ストロークスだが、アルバート・ハモンド・ジュニアとプロデューサーのゴードン・ラファエルはデビュー前のバンドについて振り返っている。

アルバートとゴードンはファースト『イズ・ディス・イット』が実現するまでの道程をザ・ガーディアン紙に語っていて、たとえば、ごく初期のライヴについてアルバートは次のように振り返っている。

「1998年に1年くらいみっちりリハーサルを続けて、それからライヴをやってみようって決めたんだよ。一番最初のライヴの時、あまりにも緊張してたから、みんなでエディ・マーフィーの映画『ビッグムービー/だから映画はやめられない』を観に行って、それで落ち着いたらいいなと思ったんだよね。結局、ライヴは最悪だった。笑っちゃうのは、たった6人のお客さん相手に演奏したのにあんなにあがってたってことで、おまけにその6人って全員知り合いだったんだよね」

その後、ライヴが盛り上がるようになった頃のことをアルバートは次のように語っている。

「なんかうまく行き始めてるなってぼくが感じるようになったのは、マンハッタンのルナ・ラウンジでのライヴがきっかけでね。ぼくたちの出番はちょうど真ん中のスロットだったんだ。でも、雪が降ってて、それで開演時間についてすごいもめることになってね。こっちはもう腹立ってたから、こっちはもうそのままステージに出て、ものすごい勢いのライヴをやって、確か"ザ・モダン・エイジ"と"ラスト・ナイト"を初めてやって、ドラム・キットを蹴り飛ばしてライヴを終えたんだ。すると、ぼくたちの友達連中が全員ぼくたちと一緒に帰っちゃったから、その日のトリのバンドはお客さんがまったくいなくなっちゃったんだよ」

その一方でゴードンはEP『ザ・モダン・エイジ』のプロデュースを手がけたあとで、ファースト『イズ・ディス・イット』のプロデューサーも任されるようになった経緯を次のように語っている。

「ジュリアンから夕食に誘われて、ラフ・トレードからギル・ノートンとアルバムを作るように言われていると相談されたんだよ。ギル・ノートンは、ピクシーズやフー・ファイターズと一緒にやっていて、関わった作品すべて600万枚売ってるわけだよ。でも、ジュリアンはぼくが自分の方がプロデューサーとして優れていると言ってくれさえすれば、ぼくにレコーディングを任せることもできると言ったんだ。でも、ぼくにはそれは言えなかった。するとジュリアンは立ち上がって、『もう死ねよ、これでギル・ノートンとやらなきゃなんなくなっちゃったじゃん!』って言い捨てたんだよ。でも、数週間したらジュリアンから電話が入ったんだ。ギルとはうまくいかなかったってね」

さらにゴードンはザ・ストロークスとして目指していたサウンドを説明したジュリアンの言葉を次のように紹介している。

「ジュリアンはこう言ったんだよ、『タイムマシーンで未来へ行ってみたら、すごい昔に制作されていた名盤を掘り出してそれがものすごく気に入ったっていうようなものなんだよ』ってね。それがバンドの狙ってた音だったんだ」

また、制作当時のレーベル側の態度を次のようにゴードンは回想している。

「バンドが新しく契約したアメリカ側のレーベルの担当者がレコーディング中に様子を見に来たことがあってね。連中は作品はゴミみたいな音だし、とてもプロの仕事とは思えないと言って、ぼくのプロデュースはジュリアンの声の魅力を殺してるし、バンドに約束されているキャリアのチャンスがすべて潰されているとまで言ってきたんだ。だから、その後、モダン・クラシックだとアルバムが評価された時にはすごくせいせいしたよ」
公式SNSアカウントをフォローする

人気記事

最新ブログ

フォローする