モータウンの伝説の宣伝マン、アル・エイブラムズが74歳で他界

モータウンの伝説の宣伝マン、アル・エイブラムズが74歳で他界

60年代から70年代にかけて黄金時代を生み出したR&Bの名門レーベル、モータウンの宣伝を創業時から手がけていたアル・エイブラムズがオハイオ州フィンドレイにある自宅で10月3日に他界した。アルはがんとの闘病を続けていたといい、享年74だった。

モータウンが設立されたデトロイト市のユダヤ系として育ったアルはモータウンの設立前から創業者のベリー・ゴーディにその宣伝マンとしての資質を見込まれて雇われていて、特に有名な「The sound of young America(若いアメリカの音)」というモータウンの売り文句となったフレーズを生み出したことでも知られている。その後、レーベルの宣伝マンとしてスティーヴィー・ワンダー、シュープリームス、ザ・ミラクルズ、マーヴィン・ゲイらのキャリアを軌道に乗せたことで知られている。

アルの妻、ナンシーは「アルの最大の達成は弱冠18歳でモータウンでこの仕事を始めたことだと思います。その先はそれがどんどん膨らんでいったようなものでした。18歳の時点で人生をどう生きたいのかしっかり決めていたんだと思います」とアルについてAP通信に偲んでいる。また、マーサ・アンド・ザ・ヴァンデラスのマーサ・リーヴスは自分たちの楽曲が(まだ黒人音楽への偏見が多かった時代に)ラジオで広くかかるようになったのはアルの働きが大きかったと振り返っている。

いつも「R&Bかポップ、黒人か白人となんでもジャンル分けされていた時代にたくさんの扉を蹴り破ったのはアルだった」とマーサはデトロイト・フリー・プレス紙に語っていて、「わたしたちの地位向上のためにとても重要な役割を担ってくれたのよ。それまでにずっと閉められていたさまざまな扉をわたしたちのために開放してくれたのはアルだったの」と偲んでいる。

アル自身は自身の最大の達成として、黒人の地位向上を要求する公民権運動がまだ最盛期を迎えていた1965年に、全国誌であるTVマガジン誌の表紙にシュープリームスを登場させるのに成功したことだったと生前に語っていた。

「これのおかげでほかの編集者たちもみんな、『1週間リビングで置きっぱなしにされるような雑誌の表紙に黒人の人を持ってきても平気なんだ、読者が怒って購読をキャンセルするようなことにはならないんだ』って気づいてくれたんだよ」とアルはデトロイト・フリー・プレス誌に語っている。また、自分たちのアーティストをさまざまな雑誌の表紙に登場させることを、そのアーティストのためだけでなく、「公民権運動の闘争にとっての突破口になると捉えていたんだ」とも振り返っている。

また、アルはモータウンのアーティストだけでなく、ボブ・ディランについての「(ザ・ミラクルズの)スモーキー・ロビンソンを抑えて、アメリカで現存する最高峰の詩人」というキャッチフレーズを生み出した一人としても知られていて、1967年にはモータウンを退社すると、自身の広報事務所を開き、ジェイムス・ブラウン、スタックス・レコードなどのクライアントを抱えるようになり、その後も活躍を続けた。

妻のナンシーによれば、自身のがんについて知るとアルは自分の訃報などについての指示をナンシーに言い渡したそうで、「『これこれこういうことを発表して、こういう段取りでやって、ここに連絡して、写真はここに揃えてあるから。それと猫についても触れておいてもらいたいな』っていう調子でした」と説明している。

「とてもアルらしいんですけど。いつも先を見通していて。最良の形を残したかったんですね、モータウンやスタックスやさまざまなアーティストについて自分がやってきたように」
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