オジー・オズボーン、1982年の戦没者慰霊碑立小便事件について公式に謝罪

オジー・オズボーン、1982年の戦没者慰霊碑立小便事件について公式に謝罪

11月22日に幕張メッセで開催されるOzzfest Japanへのヘッドライナー出演を予定しているオジー・オズボーンだが、かつて起こした歴史的遺跡での放尿事件についての謝罪をテキサス市庁で行ったという。

オジーは1982年にテキサス州サンアントニオにあるアラモの戦いの史跡で、泥酔したまま戦没者慰霊碑に立小便をしたかどで警察に逮捕され、その後10年間、サンアントニオ市への立ち入りを禁止されることになっている。

1836年に起きたアラモの戦いはテキサスがメキシコから独立した際に戦われたテキサス独立戦争での戦いのひとつで、アラモを守っていた独立派のテキサス勢はメキシコ軍の総攻撃を受け、ほぼ全員が戦死するかメキシコ軍によって処刑されたことで知られる。オジーが泥酔した状態でその慰霊碑に放尿した際、彼は当時まだ交際相手だった後の妻のシャロンに自分の服を隠されてしまっていたため、シャロンのドレスを着こんだ状態だったという。

その後、1992年にオジーは史跡の維持管理団体へ1万ドルもの寄付を行い、サンアントニオ市への立ち入り禁止令を解かれることになったが、今回は11月5日に同市庁を訪れての公式な謝罪となった。実はこれはオジーのテレビ番組の一環でもあって、息子ジャックとさまざまな史跡を訪れるという番組をヒストリー・チャンネル用に製作している彼は、今回題材となったアラモで公式に謝罪を行うことも決めたのだとか。今回のオジーの謝罪訪問についてサンアントニオ市議員のロバート・トレヴィーニョはサンアントニオ・エクプレス=ニュース紙に次のように語っている。

「確かにそういう連絡は受けていますね。この偉大な町にオジーに足を運んでもらって、あんまりしらふとはいえなかった行状について謝ってもらうということについては、わたしたちとしては本当にとても喜んでいます」

番組の放送については未定だが、オジーは番組について次のようにビルボード誌に語っている。

「ジャックと俺とでヒストリー・チャンネルの番組をやっててね、父子で歴史をおもしろおかしく扱う内容なんだよ。取材でストーンヘンジに行った時なんか、自分がアーサー王のファッキン生まれ変わりだとマジで信じてるやつとかに会ってね。ブレッチリ―・パーク(第二次世界大戦中に政府暗号学校が置かれ、ドイツ軍の暗号解読が行われていたイギリスの歴史的施設)に行った時には(数学者のアラン・チューリングが)ドイツ軍の暗号を解読するのに使った機械も見させてもらったしね。これからはアメリカのラッシュモア山に行って、ミニットマン・ミサイル(大陸間弾道ミサイル)をかつて配備していたけど、今は使っていないミサイル発射格納庫を観に行くことにもなってるんだ。実際問題として俺にはすごく教育的な効果があるんだよね。歴史にオズボーンの切り口から迫るっていうか」
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