【コラム】宇多田ヒカルが帰ってきた――深い愛を描いた新曲2曲を聴いて

【コラム】宇多田ヒカルが帰ってきた――深い愛を描いた新曲2曲を聴いて

いよいよ宇多田ヒカルの新曲2作がリリースされようとしていた深夜。ただワクワク、ソワソワとしていられるだけなら良かったのだけれど、熊本を中心に大きな地震が起きて、TVニュースやインターネット上の情報ばかりを目で追っていた。宇多田自身も、人々の安否を気遣うツイートをしていた。日付が変わって1時間ほど経ち、iTunes上でもダウンロードリリースがスタートしたので、ひとまず“花束を君に”と“真夏の通り雨”を購入する。

宇多田の2曲をしっかり聴こうと思ったが、どうにも被災地の様子が気になる。どっちつかずの心持ちで、これでは作品にも失礼だ。そんなとき、熊本在住の人が『花束を君に』のアートワークを貼り付け、「音楽は、一時でも気持ちを紛らわせてくれる」という意味のことを、ツイッターに書き込んでいるのを見た。そうだ。今は、束の間でも読者の気休めになればと思って、このコラムを書き出している。

4月15日の午前零時、宇多田ヒカルのオフィシャルホームページ上では、新曲2作のショート版ビデオと、歌詞が公開された。フルサイズの2曲にじっくりと向き合うことが出来るようになって(楽曲そのものの力に引き込まれたと言ったほうがいいか)思うのは、この2曲がどちらも深い愛と離別の情景を描き出しているということだ。“花束を君に”には感謝の思いと切なさが立ち込め、“真夏の通り雨”には愛の記憶が掻き立てる強い哀しみと孤独感が溢れかえっている。ただ、どちらもピアノとストリングスをサウンドの核にした楽曲なのに、描かれる心象はまるで違う。

《世界中が雨の日も/君の笑顔が僕の太陽だったよ》(“花束を君に”)

《ずっと止まない止まない雨に/ずっと癒えない癒えない渇き》(“真夏の通り雨”)

美しい「生活」のドキュメンタリー映像をザッピングするかのように構成された“真夏の通り雨”のビデオは、日本テレビ『NEWS ZERO』のテーマ曲だからだろうか。恋の終わりで悲嘆にくれる終盤のコーラスリフレインは、まさに降り止まない雨のような印象をもたらしている。ありふれた愛の風景と言えば確かにそうなのだが、愛を育て、ときにすり減らし、別れを経験する暮らしの中で、我々はどれだけ心を大きくうねらせているだろう。そのことに気づかせてくれる2曲である。

あの「人間活動」宣言を行い、2010年いっぱいでアーティスト活動を休止したあとも、彼女はブログやツイッターで生活の中からありとあらゆる思いを発信してきた。東北の震災時にはアクションを起こし、命にまつわるとても悲しいことも、とても喜ばしいことも報告してきた。ときには、気の利いた一言で笑わせてくれた。そして彼女はアーティストとして帰還し、大きな心のうねりを描く2曲を届けることになる。そこで僕は、きっと多くのファンと同じように、この歌を思い出したのだ。

《君に会えない my rainy days/声を聞けば自動的に sun will shine》(“AUTOMATIC”)

宇多田ヒカルがシーンに帰ってきたという事実の重大さを、あらためて痛感させられる。こんなふうに愛を巡るループの中で何度も心を揺らしながら、人は生きてゆくのだ。覚えておこう。2016年の4月は、宇多田ヒカルの歌が再び聴こえはじめた春である。それが人々に寄り添いもたらす、安らぎや活力が決して小さいものではないことを、僕は今から確信している。(小池宏和)
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