【コラム】ぼくのりりっくのぼうよみ、情報の海を生きる「方舟」たる新作『Noah’s Ark』に思うこと

【コラム】ぼくのりりっくのぼうよみ、情報の海を生きる「方舟」たる新作『Noah’s Ark』に思うこと - 『Noah’s Ark』 発売中『Noah’s Ark』 発売中

すさまじい思考の濁流により生み出されたEP『ディストピア』から約半年というスパンでリリースされた、ぼくのりりっくのぼうよみのニューアルバム『Noah’s Ark』。『ディストピア』の収録曲3曲が収められている(“Water boarding”はアルバムバージョン)にも関わらず、また過去作とのテーマの連なりを受け止めさせつつ、このニューアルバムには決定的に新しいぼくりり像が刻みつけられている。自分のおかれた世界をつぶさに描写し、問題提起するのに留まらない、具体的な「戦い」を始めたアルバムだということだ。

まず引きつけられたのは、リード曲としてミュージックビデオも公開された“after that”だ。とても晴れやかで清々しいラテンジャズのアンサンブル(なんと、プロデュースは現代ユーロジャズ/クラブジャズの名プロデューサー=ニコラ・コンテ)からぼくりりのラップソングが届けられるナンバーだが、その晴れやかさ/清々しさは何か取り返しのつかない出来事の後に訪れる情景であることがリリックから伝わっていた。あたかも壮大な映画のラストシーンだけを先に見せつけられ、後からその過程を追うといった、巧妙なアルバム体験が仕掛けられていたのである。

旧約聖書の「ノアの方舟」=『Noah’s Ark』。ぼくりりは、玉石混交の情報に揉まれる時代の苦痛を「天啓」として解釈したのだろうか。確かに、痛みは脳が発する危険信号であり、新たな手立てを講じるための手がかりだ。痛みは反動のチャンスである。アルバムは、孤高の意志に裏付けられた“Be Noble”のエモーショナルな疾走から始まる。彼はもはや孤独を恐れてはいない。エレクトロニックとオーガニックが絶妙に融和した素晴らしいトラックを手がけたのはササノマリイであり、つまりかつてぼくりりが紫外線名義でカバーした“戯言スピーカー”のねこぼーろである(ササノマリイは、前作アルバム『hollow world』にも“CITI”をトラック提供している)。

《昔からこの世界が/誰かが脚本を書いてる映画/みたいに思ってた》と切り出される“予告編”は、まさに個人の皮膚感覚で捉えられた現実社会の姿だろう。インターネットネイティブではない世代の我々大人は、比較的、情報ツールと距離を置きやすいところがある。情報の洪水を起こしておきながらも、それが無い時代を知っているからだ。しかし、若い世代はそうではない。「いいね」や「既読」や真実や嘘に振り回され、情報の洪水に押し流されるままになってしまうのだろう。情報の洪水を今すぐに止めることは出来ない。だからまず、ぼくりりは仲間たちと生き延びるためのツールを作ることを選んだ。それがこの「方舟」たるアルバムであり、あるいはクラウドファンディングを元手にスタートさせた、アルバムと同名のオウンドメディアだ。

Noah’s Ark
http://noahs-ark.click/

“after that”のラストシーンの前に配置された“liar”と“Noah’s Ark”が、まさに映画のクライマックスのように圧巻の内容だ。類稀な知性を感じさせながら、それ以上に孤独を覚悟した決断こそが、このアルバムの絶大な説得力を担っている。(小池宏和)
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