泉谷しげる「阿蘇ロックフェス」が生み出した音楽の奇跡を『ワイドナショー』で追体験

泉谷しげる「阿蘇ロックフェス」が生み出した音楽の奇跡を『ワイドナショー』で追体験

今月4日にオンエアされた『ワイドナショー』をご覧になっただろうか。
政治/社会/芸能ゴシップまで幅広い時事ネタを松本人志らコメンテーター陣が斬りまくる75分の放送枠の中で、実に20分近くを費やして特集された「阿蘇ロックフェスティバル2017」の映像に、日曜午前から胸熱くした人も多かったことと思う。僕もそうだった。

2014年の阿蘇山・中岳噴火に伴う風評被害を払拭するために、泉谷しげるが発起人となって実施を呼びかけ、熊本・南阿蘇村の「熊本県野外劇場アスペクタ」で2015年に初開催が実現した「阿蘇ロックフェスティバル」。
だが、昨年2016年5月に予定されていた「阿蘇ロックフェスティバル2016」のまさに直前、4月に発生した熊本地震の影響で、フェス開催自体を断念せざるを得なくなってしまう。
普通に考えれば2016年のフェスは中止、2017年の開催に向けてゼロからブッキングなどの準備を行うところだろう。

しかし――泉谷ら主催者サイドが選んだのは「中止」ではなく「延期」。次回もそのまま有効と発表されたチケットは、フェス再開への約束の証として参加者に託された。
そして、2017年5月27日。2年越しで開催された「阿蘇ロックフェスティバル2017」には、2016年の出演予定ラインナップとしてクレジットされていたアーティストのほぼ全員が集結することになる。

「まさか、前のメンバーが――『1年も経つとスケジュール的に難しいかな』と思っちゃうじゃないですか。でも、ほとんど全員参加してくれることになって……感動ですね。彼らの心意気を感じて、『よし、やろう』と」
今年4月、フェス開催前に同じく『ワイドナショー』で語った泉谷の言葉からは、フェスという場所を通して生まれた、「単なるイベント」の枠を超えた信頼感が滲んでいた。

「やってる側としては復興に決まってるし、特に言われると嫌なんじゃないか」(スチャダラパー・Bose)という考えに則って編み出された、「『復興』という冠をつけない」というフェス全体の方針。
10日前に会場入りして、客目線を遮るカメラ機材のポジション変更を指示したり、自ら現地スタッフを激励したり……と「座長」としてフェス全体をリードしてみせた69歳・泉谷のバイタリティ――。
それらひとつひとつを取ってみても、「フェスという名の奇跡」を実現するための決意と情熱を感じずにはいられないが、何より最高だったのは、そこに集まったアーティストの、この場所だからこその熱演の数々だった。

この1年の間に見せた爆発的な攻勢そのままに、観客エリア最前の柵が危うくなるほどの熱狂を生み出してみせたWANIMA。「お前の不安ゼロにするぞ!」という山口隆の言葉と《悲しみで花が咲くものか!》(“世界はそれを愛と呼ぶんだぜ”)の魂の絶唱で熱気を震わせたサンボマスター。“今夜はブギー・バック”で阿蘇の草原をダンスフロアに塗り替えたスチャダラパー。ロックのポジティビティを全身で体現してみせたウルフルズ……。
泉谷が舞台裏で思わず「これからはウルフルズを最後にしよう。ウルフルズかWANIMAか。年功序列やめよう!」とこぼすほどの高揚感が、その映像からも伝わってきた。

そして泉谷しげる。実に45年前にリリースされた名曲“春夏秋冬”の《今日ですべてがむくわれる/今日ですべてが始まるさ》のフレーズが、紛れもなく「今」のメッセージとして広がり、一面のシンガロングの輪を生み出していく。
ラストの“野生のバラッド”では疲れた体に鞭打って腕立て伏せを披露し、最後の力を振り絞ってステージを降りて観客エリアに歩み寄って歌い煽る……そんな泉谷の姿に、VTR明けのスタジオが満場の拍手に包まれる。

ゲストで登場していた森昌子は、「泉谷さん、今度は私も呼んでください!」と思わず立候補していたほどの感激ぶりだったし、松本も「我々お笑いは、ああいう時にちょっとジェラシーを覚えるんですよね」とフェスの一体感を特別視していたのが印象的だった。

言うまでもなく、音楽は道も橋も作れないし、乱された日常を元通りにすることはできない。が、2年という時間を越えて「阿蘇ロックフェスティバル」でアーティストと参加者をつないでいたのは間違いなく音楽だったし、そこで響いた音楽は必ず、その場にいたすべての人たちの「その先」の確かな希望になっていくはずだ。
想いが織り重なることによって、音楽は何物にも代え難い奇跡になっていく――ということを、今回の『ワイドナショー』はあまりにもまっすぐに物語っていた。(高橋智樹)
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