この顔ぶれというのは、つまり10月7日(土)から公開される映画『ナラタージュ』において、主演(松本潤)、監督(行定勲)、主題歌(野田洋次郎がadieuの“ナラタージュ”を作詞作曲)とそれぞれに重要な役割を担っている顔ぶれであり、『ナラタージュ』の話題が中心になるのかなと予想していたのだけれど、そうではなかった。
まず、野田がプライベートでも親交が深いという松本について、「ウチに松潤が来ると、普通に飲んでるんですけど、気になるんですよね。甲冑が置いてあるような、バキバキの気配がする」と見事な比喩でいじり倒す。このトークの滑り出しが素晴らしい。
30代のふたりが結婚観について語ると、年長の行定が「もっと歳とってからでいいよ」とアドバイスするなど、生活感たっぷりな話題も面白かったのだが、野田が『ナラタージュ』について「綺麗事じゃないから恋愛は、っていう部分。賛否の否の部分を食らうことを覚悟して表現し切っている。みんな、嫌われるのに臆病になるじゃないですか」と触れてからは、それぞれ表現者としての苦悩と背中合わせの情熱が剥き出しになる。
行定の「俺なんか、悪い批評ばっかり見るんだよね。俺を変えてくれる批評が、たまにあるんですよ」という言葉が呼び水になったのか、放送時間ラスト3分あたりの、若いふたりから溢れ出す言葉の白熱ぶりが凄かった。
野田「クリエイティブを純粋にやりたいなって思うと、絶対無理でしょって方を選択しちゃいますよね」
松本「やってみなきゃわかんないじゃん!って言いたいですよね」
野田「お客さんから持たれているイメージさえも、その当時何かを乗り越えたり、否定されていた何かを一個突破して達成して、与えられたイメージだったりもするもんね。それをやり続けるしかないのかなあって」
松本「そうなんだよ。やり続けなきゃいけないのに、新しいことをやろうとすると、いやそれは……って言われるわけじゃん。いやいや、今までやってきたじゃん。てことは、これからもやり続けなきゃいけないじゃん」
野田「つまり、今が好きなの、みんな。今という時間が永遠に続けばいいって思ってる」
松本「そんなに今を信用しているのかな」
野田「だから僕らは、今のちょっと先をたぶんずっと生き続けてるの」
松本「ほらできたじゃん、ざまあみろ、って言いたいですよね」
エンタメ作品を受け止める側の我々に対して、かなり刺激的かつ挑発的な対話である。あらゆるエンターテインメントにおいて「今を楽しむ」ことは最も重要なテーマだし、それ自体は間違っていないのだが、アーティストたちは「今を楽しむ」ために過去を刷新していかなければならない。そうしないと、楽しむべき「今」が生まれないからだ。楽しさや喜びの最中にいるときほど、その楽しさが失われることをイメージするのは難しい。幸福感に酔ってしまうし、溺れてしまいがちだ。
言うなれば、「今を楽しむ」ことを続けるために、アーティストたちは過ぎ去った「今」を積極的に捨てようとする。これは大変な覚悟である。飽きてしまうことの怖さを知っているからそうするのだ。なぜアーティストたちが新しさを追い求めているのかを知ることは、ただ届けられる作品やステージを漠然とした気持ちで受け止め、そこに寄りかかるよりも、ずっと大きな喜びや刺激をもたらしてくれる。
松本潤はひとりの役者であり、同時に嵐という国民的グループのメンバーである。野田洋次郎も、ひとりのソングライターである以上にRADWIMPSという人気ロックバンドのメンバーである。それぞれにキャリアを築き、絶大な影響力を自覚しているはずの彼らが、こんなふうに未来を見据えてエッジの立った発言を行ったことを、僕は全力で支持したい。エンタメ作品やアートとの向き合い方に限らず、日々の暮らしの中の視点の持ち方についてまで考えさせてくれる、充実のトークであった。(小池宏和)