まふまふ が音楽で描く嘘の無い「人生観」はあなたの何かを変える

まふまふ が音楽で描く嘘の無い「人生観」はあなたの何かを変える - 『明日色ワールドエンド』メインビジュアル『明日色ワールドエンド』メインビジュアル
10月18日、自身の誕生日に発売された、まふまふのニューアルバム『明日色ワールドエンド』。同作には既発表曲やインスト曲、あわせて全16曲が収録されている。
デイリーチャートでは初日(10月17日付)にして3万2000枚以上を売り上げ、2位を獲得する快挙を成し遂げた。

そこで、rockinon.comでも度々ニュースで取り上げている「まふまふ」とは一体何者なのか? ここでは、まふまふについてひもといていこうと思う。

まふまふとは、プロフィールでは「ネットシーンに現れた稀代のマルチクリエイター」とあるが、「今の時代に必然として生まれた、音楽の体現者」ではないかと考える。

2010年よりニコニコ動画で活動を開始し、歌唱・作詞・作曲・編曲・エンジニアリング、さらにギター・ベース・ピアノなどの楽器の多くを自分で演奏し、ボーカロイド楽曲や、その曲をセルフカバーした歌ってみた動画のほか、さまざまなボカロPやアーティストの楽曲の歌ってみた動画も投稿。今では投稿する度に再生数上位にランクインするなど、歌い手としてもトップクラスの人気を誇っている。
さらに、Twitterのフォロワー数は100万を超えており、ネットシーンにおいて多大な影響力を持つアーティストの一人と言っても過言ではない。

まふまふは、声にとても特徴がある。それは、とても「高音」ということだ。男性や女性の高音よりもさらに高い音域を発し、ボーカロイド並のキーで歌うことが多い。さらに、曲の解釈の仕方も特徴的で、自分の声に合わせて、そして原曲を尊重したアレンジを施すことが多い。例えば、米津玄師の“orion”や“LOSER”はギターでのアコースティックアレンジにするなど、米津の声とはまた違った、まふまふの線の細い声での表現が合うようなアレンジになっている。まふまふの曲として落とし込んで表現しているように感じるので、ただ歌っているだけでなく、曲の持つ説得力が上乗せされているような感覚になるのである。
また、友人たち(そらる、うらたぬき、あほの坂田など)とのゲーム実況動画も投稿している。

そらるとはふたりでのコラボ曲を投稿することも多く、今年の4月、ふたりのユニット・After the Rainがリリースしたシングル『アンチクロックワイズ』と『解読不能』もウィークリーランキング3位・4位(デイリー1位・2位)を獲得。同ユニットでもほとんどの楽曲の作詞作曲をまふまふが務めている。8月には初の日本武道館公演を2DAYS開催、大成功を収めた。

加えて、今年のはじめにはまふまふのワンマンライブ「ひきこもりでもLIVEがしたい!」を開催、計4公演、ファイナルは幕張メッセイベントホールで行われた。5月には主催イベント「ひきこもりたちでもフェスがしたい!」をさいたまスーパーアリーナで開催、そらるをはじめ、luz天月-あまつき-、浦島坂田船ら、まふまふの友人たちが出演し、1万8000人が会場を埋め尽くした。来年3月には、幕張メッセ国際展示場9~11ホールにて「ひきこもりでもLIVEがしたい!~明日色ワールドエンド発売記念公演~」を、友人たち(シークレット)を呼んで開催することが発表されている。

他の歌い手やアーティストにも楽曲提供をしており、最近ではluzの3rdアルバム『Reflexión』の表題曲“REFLEXIÓN”のほか、工藤静香のソロデビュー30周年を記念したオリジナルアルバム『凛』に収録されている“禁忌と月明かり”や、アニメ『ゲーマーズ!』OP曲“GAMERS!”、また、現在放送中のアニメ『おそ松さん』第2期OP曲、A応Pの“君氏危うくも近うよれ”の作曲を務めるなど、音楽家としても活動の幅を広げていると同時に、多くのメディアが彼に注目していることが窺える。
肩書きを「何でも屋」としているが、そのマルチな活動、そしてその躍進には、目を見張るものがある。

この度、自身の誕生日10月18日に、約2年半ぶりにリリースされたソロアルバム『明日色ワールドエンド』。前作『闇色ナイトパレード』では、自身が制作したボカロ曲のセルフカバーもあったが、今回は初めて、全てオリジナルの楽曲が収録されている。
“立ち入り禁止”、“夢のまた夢”、“罰ゲーム”、“すーぱーぬこになりたい”は2016年に投稿されていた楽曲で、それ以外は全て新曲で構成された全16曲。


冒頭、1曲目の“[Nexus]”という「連鎖」の意味を持つインスト曲、そして2曲目のエレクトロロックな“輪廻転生”で、「こんな人生は終わりにしたい」というようなとても「強い」メッセージを持った楽曲から始まる。まふまふのソロの楽曲は、全体的に、人生や世界、生きることに絶望しているような言葉を、とてもキャッチーでアッパーなメロディーに乗せて歌うことが多いから、そういう言葉に背を向けたいのかと思ってしまうが、その逆で、自身の中にある言葉や思いだからこそ、それを歌詞にして歌っているのではないかと思う。
一方で、ポップな“眠れる森のシンデレラ”や“水彩銀河のクロニクル”、“恋と微炭酸ソーダ”や“常夜の国の遊びかた”は、童話や甘酸っぱいようなストーリーが頭に浮かぶ感じの、キラキラとした、パステルカラーのイメージの曲になっている。「恋」や「大人になる」という、儚い気持ちが歌われている。
また、EDM調の“フューリー”、ゴシックな“悪魔の証明”では、「他人に対する嫌悪」のようなものが歌われていて、曲調も、鋭利な刃物のような、ヒリヒリとした空気をまとっている。
そんな中に投下される“すーぱーぬこになりたい”。底抜けに明るく、おふざけ感のある曲だけれども、やはりこの曲も、猫にとって人間の世界なんて関係ないから、猫になって気ままに暮らしたいという曲なのである。
そして、インスト曲“[Lycoris]”=彼岸花が添えられた後の最終曲“終点”では、《吸い尽くすような暗闇が/ボクらの未来だった》と、この先に明るい未来はないと、人生の終点へ向かう――。


このアルバムを一連通して聴くと、例えばロックとかポップとか、曲調をくくりたくなるが(実際書いたが)、そうではなく、まふまふの中にある音楽性がそのまま表れた楽曲たちなんだと感じる。だから、一見バラバラに見える楽曲群だけど、まふまふという人間性が一貫して表現されているのだと思う。暗い歌詞も明るい歌詞も、甘酸っぱい歌詞も絶望した歌詞も、ぬこな歌詞も、綺麗な言葉で曖昧にしないで、全部まふまふの中にある言葉や想いを曲としてかたちにしているのだ。ゆえに「音楽の体現者」なのである。
それをふまえて“終点”という曲を考える。未来には何もないと歌う曲だが、しかし、未来には何もないから、今できることをやるべきだ、というメッセージにも感じる。アルバムタイトル『明日色ワールドエンド』とは、「明日は世界の終わり」だから、明日を見るんじゃなくて、明日なんてないかもしれないから、今を生きるべきだと。人生なんて結局最後は何も残らないけれど、でも、今の自分には確かに何かあって、それが辛かったり楽しかったりするものであって、生きていくというのはそういうものだと言っているように思う。

私は、このアルバムは全体を通して「人生」というものを表現していると感じた。人間はきっと前世の何かの生まれ変わりで、この世界に生まれたけれど、「こんな人生もう嫌」と思うこともあるし、楽しいことがあったり恋をしたり、でもやっぱり辛いことがあったり否定されたり、自分も他人も嫌になって全てに絶望して――人間という生き物は、生きていく中で様々な感情に揺り動かされていくものだ。それが「人生」で、後には何も残らないものだけれど、生きている間は、その浮き沈みがループして起こるものだと思う。このアルバムで言えば、“終点”で終わったものが、1曲目に戻って連鎖(=“[Nexus]”)し、再び繋がって繰り返していくのである。私自身、まさに《人生とかいう罰ゲーム》(“罰ゲーム”)と思ったこともあるし、猫になりたいと思ったこともあるし、死にたいくらい辛いと何度も思ったことがある。でもそれは、人間、生きていれば誰しも抱え得る感情で、それが「人生」というものではないか。だから、このアルバムは“終点”で終わり、また繰り返し始まるものだと思う。しかしそれは、また絶望がやってくるということではなく、それが「生きること」だと訴えているような気がした。
そして「ワールドエンド」=「世界の果て」は、きっと本当の果てなんてなく、世界は丸くて、果てだと思ったところがまたスタート地点で、そこから進み続けていくのだと思う。少なくとも私は、このアルバムに絶望だけではない希望が込められていると感じた。そんなことを考えさせられるアルバムだと思った。
ぜひ、16曲を聴いたら、1曲目に戻って聴いてみてほしい。きっとまた良いことが起きるかも、と、世界が違って見えるかもしれない。


まふまふというアーティストは、自分というものを音楽で体現し、飾らない言葉で人生観を語る、今の時代が求めるアーティストなのだ。
今後も彼の躍進は、とどまるところを知らないだろう。そして、今後もどんな音楽、想いを私たちに提示してくれるのか、注目せずにはいられない。(中川志織)
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