NGT48“世界はどこまで青空なのか?”MVが鬼気迫る表現で伝える「アイドルとして生きること」

NGT48“世界はどこまで青空なのか?”MVが鬼気迫る表現で伝える「アイドルとして生きること」
12月6日(水)にリリースされるNGT48の2ndシングル表題曲“世界はどこまで青空なのか?”のMVが、現在期間限定でフルサイズ公開されている。


何も考えず、まずは12分におよぶ映像をただ観てほしい。彼女たちが拠点とする新潟県の雄大な自然とそこで息づく少女たちのフレッシュな姿が目に飛び込んでくる。今作でセンターを務める荻野由佳を主人公に、アイドルを夢見る少女たちを巡るストーリーが描かれた映像は、バンドサウンドを基調とした楽曲の世界を豊かに表現している。

今年4月に発売されたデビューシングルの表題曲『青春時計』は、軽やかな曲調にポエトリーな歌が重なった、非常に春らしいアイドルソングだった。“世界はどこまで青空なのか?”はそれに続くアイドルソングでありつつも、これから少女たちが人として大きく羽ばたくために必要な、上昇気流となるメッセージソングでもあるはずだ。

そんな前向きな曲でありながら、MVではある一点を過ぎると、それまでの世界が一変する。曲が終わったのち駆け出す荻野が足を止めて叫ぶモノローグだ。映し出される広大な自然に向かって佇む荻野と、フェンスを背に泣きじゃくる荻野。それまでの映像と同じ時間軸でありながら異なる道を選んだであろう2人の彼女は同じセリフを口にする。

「私は人間に生まれてきたんじゃない、アイドルに生まれてきたの」、「私の人生 アイドルしかなくたっていい、青春なんていらないよ」――2つの世界の荻野が交互に叫ぶ「決意」。それは片や希望に満ち溢れ、片や絶望を孕んでいるように胸に響く。そしてこのモノローグはこんな言葉で締め括られる。

「そんな旅に私の若い命、捧げます」

ここでいう「旅」とは、タイトルにもある青空を探す旅であり、アイドルとしての人生を指すものだと、それまでの言葉から察することができる。さらに「命を捧げる」というこれ以上ないインパクトのあるフレーズは、否応なしに見る者の胸を抉ってくる。

ただ、ドメスティックに映るこのシーンは何もアイドルの残酷さだけを切り取っているわけじゃない。むしろ、このシーンから伝わる膨大な「決意」のエネルギーは、荻野の、ひいてはNGT48というアイドルの覚悟を捉えているように映る。

映画『溺れるナイフ』や数々のアーティストのMVを手掛けてきた山戸結希監督による同映像。アイドルやモデルを題材にすることが多い山戸監督の映像は、その時代を生きる少女の刹那が切り取られている場面が多く存在する。そして映像に映し出される登場人物は皆、自分が存在する場所に居心地の悪さを感じている。「ここは私の居場所じゃない」、「いつか必ず私を必要としてくれる人に出会える」――そんな自問自答の果てに辿り着く「私はこうありたい」という渇望。“世界はどこまで青空なのか?”のMVも、アイドルを夢見て必死にもがいてきた荻野の生き様が映像全体に息づいていて、それは個人の想いを越え、映像すべてに映る少女たち=NGT48の意志として輝いているのだ。

AKB48に強い憧れを抱いていた荻野は、これまでオーディションを含む数々のチャンスを前にあと一歩というところで涙を流してきた。この映像が公開された際のコメントでも、MV撮影中はNGT48に加入するまでの道のりや悔しかったことが蘇ってきたという。そんな経緯も知ってからこの映像を観ると、より実像としてのアイドルを感じられるだろう。山戸監督が命をかけて撮った、命を捧げるアイドル。命と命の摩擦から零れ出したこの映像作品は、12分間そのすべてで、少女たちが生きていることを証明し続けている。

NGT48、ひいてはアイドルに対してステレオタイプな意見を持ち続けている人がいるなら、とにかくこのMVを観てほしい。観た後、たとえそのステレオタイプが取り払われなくても構わない。雲の向こうに青空が広がっているように、山の向こう、街の向こうに少女たちが生きていることを、どうかこの映像で確かめてほしい。(小田淳治)

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