ダスティン・ホフマン、5名の女性によるセクハラ告発の経緯をたどる。70年代から80年代まで

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『クレイマー、クレイマー』(1979)と『レインマン』(1988)でアカデミー賞の主演男優賞を受賞した他数々の映画賞に輝き、近年では『ミート・ザ・ペアレンツ』シリーズなどで知られるダスティン・ホフマンが、復数の女性からセクシャル・ハラスメントの告発を受けている。

現在までに5名の女性が訴えているセクハラ行為はいずれも1970年代から80年代の過去のものだが、御年80歳の名優のセクハラ疑惑の浮上は大きな話題となっている。

本記事では「The Hollywood Reporter」の報道をもとに、ライターのアンナ・グラハム・ハンターの告発を皮切りに始まったダスティン・ホフマンのセクハラ問題の経緯を簡単に紹介していく。



事の発端は、11月1日に「The Hollywood Reporter」に掲載された記事「Dustin Hoffman Sexually Harassed Me When I Was 17」だ。

この記事はライターであるアンナ・グラハム・ハンター本人によって寄稿されたもので、当時17歳だった自身がダスティン・ホフマンが出演した1985年のテレビ映画『セールスマンの死』の撮影現場で受けたというセクハラ行為が、当時の日付とダスティンとの会話と共に克明に記されている。

30年以上を経たこの告発を受け、ダスティン・ホフマンは謝罪のコメントを発表。

「Associated Press」に対し「私は女性に対し最大限の尊敬の念を持っている。私の行いで彼女を不快な状況に貶めてしまったのだとしたら、とても心苦しく思う。大変申し訳ない。(告発の内容は)まったくもって私らしいものではない」とコメントした。



その後脚本家のコリー・トーマスが16歳当時、1980年にダスティンからセクハラを受けたと告発。

ニューヨークの国連国際学校に通っていたコリーだが、ダスティンの娘カリーナとジェナもこの学校の学生だった。コリーの証言によると、ある日、学校の友だちの父親であるダスティンに食事に誘われたのだとか。

レストランにはカリーナも同席していたが、食事が終わるとカリーナは当時離婚調停中だったダスティンの妻、アン・バーンのもとに。ダスティンは1人になったコリーが自分の母親を待つ間、自分のホテルにいればいいと諭したのだという。ダスティンはアンと別居中だったため、当時はホテル住まいだったようだ。

ホテルの部屋に入り全裸になったダスティンは、コリーに脚をマッサージしてくれと頼んできたのだという。1980年といえば、ダスティンが『クレイマー、クレイマー』で初のオスカーを獲ったばかりで人気絶頂の頃だ。ゴールデン・グローブ賞の主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞した『トッツィー』(1982)の制作中であったことも考えられる。



上記の2人に続き告発を行ったのは、当時無名の女優だったキャスリン・ロセッターだ。キャスリンは『セールスマンの死』の舞台版に出演。

ダスティンは本作の撮影中、「週に6回から8回」に及び共演者であったキャスリンのスカートに頻繁に手を入れてきたという。そしてある日、スタッフの前でキャスリンが着ていたスリップを捲り上げられ、「(ダスティンが)私の顔を手で覆った状態で、クルーたちの前で胸と身体を露出させられた」と証言している



続く4人目は、当時20歳だった映像編集者のメリッサ・ケスター。ダスティンからセクハラ行為を受けたのは、やはり1985年だ。

マリブのスタジオで『イシュタール』(1987)の撮影を行っていたダスティンは、撮影現場で働いていたボーイフレンドに連き添いスタジオの見学をしていたという。

メリッサは『セールスマンの死』の大ファンだったのだといい、スタジオでの雑談の中で「アーサー・ミラー(『セールスマンの死』の原作の作者)をどれほど尊敬しているか、映画業界でどれほど脚本を書きたいと思っているか」を話していたところ、ダスティンから「僕は新しいプロジェクトをたくさん持ってるんだ。話をしよう」と電話番号の交換を要求されたのだという。

その後、ダスティンの楽屋に呼ばれたメリッサは「強く抱き寄せられ」、「局部に指を入れられた」と訴えている。すぐ後ろの部屋ではボーイフレンドが仕事をしていたものの気づかれず、メリッサは当時「私の責任だと思ってた。自分は安い人間なんだと思ったし、(この経験が)すべてを変えた。『そうよね、そもそも私の脚本になんか興味を持ってくれているはずなんてない』と気づいた」と語っている。

この行為の後、ダスティンはメリッサに3度電話を掛けてきたという。3度目で電話に出たメリッサが「私にはボーイフレンドがいて、彼のことを愛してる。連絡はやめてください」と伝えると、それ以上の接触はなかったのだという。



そして5人目は海外メディアでキャロライン(仮名)として報道されている医療関係者だ。本名は不明だが、ダスティンにセクハラ行為を受けたのは1975年、ワシントンD.C.で『大統領の陰謀』(1976)が撮影されていた時期だ。

当時21歳だったキャロラインはバスのツアーガイドの仕事をしており、アシスタントと一緒にいたダスティンがたまたまバスに乗ってきたのだという。そして2人がバスから降りた1時間後、アシスタントから「ホフマンさんがあなたと一夜を過ごしたいと申しています」との伝言を受けたのだとか。

誘いを受けたキャロラインがダスティンが滞在するホテルの部屋に入ると、ダスティンに「君の父親は何のお医者さん?」などという質問を投げかけられたという。それらはダスティンがまだ知らないはずの事実であったため、自分のことを調べられていたことに気づいたキャロラインが帰りたいと伝えたところ、ダスティンは「帰る? セックスをせずに帰れると思ってるのか?」と発言。

ドアを塞がれ、2通りの性的行為から1つを選択させられたというキャロラインは「行為が終わったあと、タクシー代として20ドルを渡された」と語っている。



10月に発覚したハーヴェイ・ワインスタインの数十年に及ぶセクハラ行為を発端に、ハリウッドでは立て続けに映画関係者のセクハラ告発が行われている。これまでセクハラ被害を訴えてこなかった女性たちの間には#MeToo運動が広がり、その波はハリウッドにとどまらず、あらゆる業界へ波及している。

11月にはケヴィン・スペイシーの過去のセクハラ行為が告発され、出演作の降板や出演シーンのカットを余儀なくされた。

最近ではNetflixで配信中の『マイヤーウィッツ家の人々(改訂版)』(2017)が記憶に新しいダスティン・ホフマンだが、今後の新たな出演予定は発表されていない。アンナ・グラハム・ハンターによる告発後の謝罪コメント以降、本人からの声明の発表などは行われていない。
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