オアシス結成前、ノエルが成功を確信した瞬間――『あの“コロンビア”のリフができて「何だこれ」と。何かが俺に火を付けたんだ』

オアシス結成前、ノエルが成功を確信した瞬間――『あの“コロンビア”のリフができて「何だこれ」と。何かが俺に火を付けたんだ』 - 『rockin'on』2019年4月号より『rockin'on』2019年4月号より

ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズとして、約4年ぶりとなるジャパン・ツアーを5月に開催するノエル・ギャラガー

『ロッキング・オン』4月号では、前号に掲載した、ノエルがオアシスからソロまで、この10年間の出来事を語り尽くした、英「MOJO」誌による最新インタビューの後編を掲載している。

オアシス時代、ほぼ全曲のソングライティングを務めていたノエルだが、アルバム『ヒーザン・ケミストリー』(2002年)と『ディグ・アウト・ユア・ソウル』(2008年)の間、メンバーのゲム・アーチャーとアンディ・ベルを曲作りに参加させ、弟のリアム・ギャラガーの作曲などを手伝っていたそうだが、その時の状況について以下のように語っている。

(中略)今考えると、ちょっとパニクってたんだと思う。昔は曲を書くのなんて超簡単だと思ってたからね。『オアシス』も『モーニング・グローリー』も『ビィ・ヒア・ナウ』も簡単にできたからね。いや、まあ3つ目の時は頭がおかしくなってたけどさ。

(中略)ゲムとアンディが入ってきて、曲作りについて向こうが言ってきたわけじゃなくて、俺が(貢献するように)頼んで、それに対して2人が「分かった」と言ったから、いくらかプレッシャーが軽減された。

でもあのバンドには俺とリアムという同等な人間が2人いて、そのうち1人がライターじゃない場合、アルバム丸ごと1枚分を書くことがどういう感じなのか理解できないわけだよ。「曲できたか?」「いや」「何やってたんだよ?」「人生を楽しんでたんだよ、このクソ野郎」っていう。


また、元々ソングライターやロック・スターになるつもりではなかったというノエルだが、オアシス結成前まで遡り、当時のことについて以下のように語った。

(中略)(1988年5月に)ストーン・ローゼズのギグでインスパイラル・カーペッツのグラハム・ランバートと出会ったわけ。俺は「これだ! 俺は何て幸運な男なんだ!」と思ったね。

(中略)それでミュンヘンから(母のペギーに)電話したら「リアムがバンドをやってるのは知ってる?」「何だと?」という。あいつは俺が曲を書けるだろうと踏んで練習に誘ってきたんだ。でもそしたら、起きたんだよ。あの“コロンビア”のリフができて、そこにいた全員が入ってきて、明かりが点いて、俺は「何だこれ」と思った。何かが俺の中に火を付けたんだ。


インタビューではこの他にも、最新アルバム『フー・ビルド・ザ・ムーン?』に至るまでのソングライターとしての試行錯誤や、オアシスの再結成、そして最新のリアムとの関係についても語り尽くしている。

おなじみのノエル語録はもちろん、音楽に対する真摯な想いも感じられる貴重なインタビューの後編の全容は、『ロッキング・オン』4月号をチェックしてみてほしい。



ノエル・ギャラガーのインタビュー記事は現在発売中の『ロッキング・オン』4月号に掲載中です。
ご購入はお近くの書店または以下のリンク先より。

オアシス結成前、ノエルが成功を確信した瞬間――『あの“コロンビア”のリフができて「何だこれ」と。何かが俺に火を付けたんだ』 - 『rockin'on』2019年4月号『rockin'on』2019年4月号
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