セクション25のラリー・キャシディが死去

セクション25のフロントマン、ラリー・キャシディが亡くなった。56歳だった。

ラリー・キャシディは2月27日、故郷のランカシャー州ブラックプールで亡くなった。死因はまだ明らかになっていないが、<ファクトリー・レコード>周辺の情報を掲載しているウェブサイトCerysmatic Factoryによれば、事件の可能性は低いという。

1953年生まれのローレンス・ジョン・キャシディは、70年代後半にロンドンでアートを学んでいた際、当時隆盛を極めていたパンク・シーンから深い影響を受けた。ブラックプールに戻った彼はセクション25を結成し、1979年に<ファクトリー・レコード>と契約を結ぶ。

セクション25はジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスを共同プロデューサーに迎えたシングル“ガールズ・ドント・カウント”で1980年7月にデビュー。翌年には1stアルバム『オールウェイズ・ナウ』を発表した(このアルバムのオープニング・トラック“フレンドリー・ファイアーズ”は後にフレンドリー・ファイアーズのバンド名の由来となる)。

ニュー・オーダーのバーナード・サムナーがプロデュースした1984年の3rdアルバム『フロム・ザ・ヒップ』では、音楽性をそれまでのポスト・パンクからプロト・テクノに移行する。この頃までに妻のジェニー・キャシディもシンガーとしてのキャリアをスタートさせ、1984年のシングル“ルッキング・フロム・ザ・ヒルトップ”を始めとする楽曲でバンドと共演した。

1988年には<ファクトリー・レコード>が4枚目のアルバム『ラヴ&ヘイト』をリリースしたものの、セクション25は事実上その2年前の1986年に解散していた。キャシディは教師として生計を立てるようになる。

2004年に妻のジェニーをガンで亡くしたが、キャシディはセクション25を再結成してニュー・アルバム『パート・プリミティヴ』を2007年にリリースする。昨年も復活第2弾アルバム『ネイチャー+ディグリー』を発表し、頻繁にツアーを行っていた。

最近はこの夏のリリースを予定していたセクション25のリミックス・アルバム『レトロフィット(Retrofit)』に取り組んでいたラリー・キャシディ。訃報に接した元ニュー・オーダーのピーター・フックは、「ラリーのことを聞いて深くショックを受けている。どうしたらいいのか分からない」と話している。

セクション25のドラマーで弟のヴィン・キャシディはこう語っている。「兄のラリーは同じバンドにいるにはなかなか難しいところのある人間だったが、最高の人間だったよ」

(c) NME.COM / IPC Media 2010
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