オノ・ヨーコ、「ジョンとわたしは笑ってばかりのカップルだった」と語る

オノ・ヨーコ、「ジョンとわたしは笑ってばかりのカップルだった」と語る

NMEのジョン・レノン30回忌特集号でオノ・ヨーコはジョンとの思い出について語っている。特にヨーコは1980年12月8日に自宅のザ・ダコタの玄関でジョンがマーク・チャップマンに銃撃されて命を落としたという悲劇的な記憶も染み付いているとはいえ、かつての2人の家から引っ越すことなどできなかったと語っている。

「ザ・ダコタはわたしがジョンとで作り上げた家なのよね。すべての壁がジョンのことを見守っていたのよ」とヨーコは語る。「ショーンにとっても家はここだけだったし、ここを出るわけにはいかなかったのよ」。

ヨーコはまた、もしジョンがまだ生きていたなら「きっと新しい音楽で実験していて、コンピューターも使っていたんじゃないかしら」と語っている。「きっとすごくおもしろいものをやっていたはずよ」。

その一方でヨーコが主催するホームページImaginepeace.comの12月8日付けのブログで、ヨーコはジョンへの思いをこう綴っている。

「ジョンはもしここに今もいたのなら今年70歳を迎えていました」とヨーコは書いている。「けれども、人々はジョンがもし生きていたらということをあまり問題にしていないようです。むしろ、みなさんはジョンを今も愛していて、その愛がジョンを今に至るまで蘇らせてくれているのです」。

さらにヨーコはこう続ける。「古い諺では10代の頃を箸が転んでもおかしい年頃といいますが、最近わたしは多くの10代の若者がお互いに怒りや悲しみをぶつけ合っているように感じています。ジョンとわたしが出会ったのはとうに10代など過ぎたあとでした。けれども、わたしの2人の思い出というのは、2人は笑ってばかりいるカップルだったというものなのです」。

その一方で、ジョンの故郷のリヴァプールではチャヴァス・パークのヨーロッパ平和記念塔周辺で地元のミュージシャンらによるキャンドル・サービスが行われるという。記念塔はジョンの70歳目の誕生日に当たる今年の10月9日に落成した。

(c) NME.COM / IPC Media 2010
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