1994年にトゥパックへの強盗と銃撃をはたらいた犯人が獄中から告白

1994年にトゥパックへの強盗と銃撃をはたらいた犯人が獄中から告白 - トゥパック 1996年作『オール・アイズ・オン・ミー』トゥパック 1996年作『オール・アイズ・オン・ミー』

ニューヨーク州で終身刑に服している受刑者が1994年に起きたトゥパック・シャクールへの強盗銃撃事件に関与していたことを明らかにしている。この事件でトゥパックは5発の銃撃を受けた。

殺人を含む複数の罪状で終身刑となっているデクスター・アイザックはニューヨークのクアッド・スタジオでトゥパックが5発の銃撃を受けた強盗襲撃事件に関わっていたことをヒップホップのニュース・サイトであるAllhiphop.comに宛てた書簡のなかで告白している。デクスターはさらにジェイムス・ローズモンドという大物ヒップホップ業界人の指示を受けていたと語っているが、ローズモンドはこれまでこの襲撃事件や、1996年にトゥパックの命を奪ったラスヴェガスでの銃撃事件の捜査でも、何度も名前が浮上してきた人物でもある。

アイザックは今回の告白の理由を「自分の行った過ちについてご家族にお詫びしたいからです。事件について整理して、(トゥパックとノトーリアスB.I.G.の)母親たちにとってなにかしらの形で節目になればと思いました」と語っている。

書簡でアイザックはこう説明している。「1994年にぼくはジェイムス・ローズモンドにクアッド・スタジオでトゥパックに強盗をはたらくように雇われました。ローズモンドは報酬の2500ドルと強奪した宝石類をすべてぼくにくれましたが、1つだけ指輪を自分のものにしていました。これはこの時強奪した2つのダイアモンドの指輪のうちの大きい方でした。この強盗の証拠として、ぼくは今もこの時奪った金のチェーンをまだ持っています」。

トゥパックは事件後、この強盗襲撃事件を仕組んだのはディディことショーン・パフィ・コムズとノトーリアスB.I.G.だったのではないかという思いに捕らわれたことは有名で、この後、いわゆるニューヨークとロスアンジェルスの間でのヒップホップ東西抗争をエスカレートさせたといわれている。その渦中のなか、トゥパックは1996年9月7日にラスヴェガスで車に乗っていたところを何者かに銃撃され、その6日後に他界した。その半年後の1997年3月9日の未明には新作『ライフ・アフター・デス』のプロモーションのためにロスアンジェルスを訪れていたノトーリアスB.I.G.も銃撃され、死亡した。この2つの銃撃事件についてはどちらも迷宮入りのままになっている

(c) NME.COM / IPC Media 2011
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