ボウイの新作にレディー・ガガ、高橋幸宏、吉井和哉らが祝福のメッセージを提供
2013.03.12 17:00
3月13日に10年ぶりとなる新作『ザ・ネクスト・デイ』をリリースするデヴィッド・ボウイだが、同作に対して多くの著名人から祝福のメッセージが届けられている。
日本のオフィシャル・サイト(http://davidbowie.jp/)では、その全文を掲載中。また、ツイッター上で @sonymusiclegacy をフォローしてハッシュタグ「#THENEXTDAY」と共に新作の感想をつぶやくと、デヴィッド・ボウイの特製ポスターが3名様にプレゼントされるキャンペーンも行われている(3月19日24時まで)。
以下、そのコメントになる(敬称略・五十音順)。
・ISSAY (DER ZIBET)
僕はこの時を待っていた。
僕の人生を変えた男、BOWIEとの10年ぶりの再会。
そこには、過去をその肉体と楽曲の細胞にしっかりと刻み込み、
真っ直ぐに現在に立ち、
はっきりと「これから」を見つめている彼がいた。
力強く、切なく、そして美しい。
なんてすごいアルバムなんだろう。
・株式会社ジュネス 大平博基(栗原類事務所社長)
かくも長き不在の後、周到な準備の下に届いたボウイの新作はジャーマン・ロックとの化学変化で生まれたベルリン三部作期のようなハンマービートを主体とした硬質な仕上りとなった。思えばボウイは一貫し同時代音楽との絶妙な距離感を保ちながら、常にファンを期待と予測を裏切り続けることがアイデンティティとさえなっていたが、改めてこの新作をもって自らオルタナティブ・ミュージックのオリジネイターであることを証明して見せたのだ。さらには三部作に続く野心作「スケアリー・モンスターズ」の音とも符合するように聴こえるのは、自身の復帰を「トム大佐」の帰還になぞらえたボウイの演出か?
・小原礼
70年代初頭にミカバンドをやっていた時期、僕たちは間違いなくボウイの影響を受けていた。
自分だけの世界に没頭しオーディエンスを無視するかのような演奏や歌唱スタイルのミュージシャンが大多数だった頃に、メークアップをして奇抜な衣装で登場し僕たちの度肝を抜いたジギー・スターダスト。長い髪を振り乱して汗をかいて演奏するだけじゃカッコ良くないって教えてくれた。
自己を客観視し、何が必要かを的確に判断するクレバーさ。常に新しいスタイルを模索し、実験的な音楽を創ろうとする貪欲さ。時代の先を進んでいるために受け入れられないことがあっても、精神の迷宮にはまり込む時があっても、全てを糧にし昇華する信念。
スーパースターはこうじゃないと。BOWIE IS BACK!
・加藤ひさし(ザ・コレクターズ)
ボクとボウイとの出会いは75年リリースの「ヤング・アメリカン」だ。ラジオにかじりついていた中学時代に聴いたボウイは大人の魅力で溢れ過ぎていて苦手だった。あれから何年経つだろう?名盤「ジギースターダスト」も未だにピンとこないが、この新作は何度も聴きたくなる。半世紀生きてやっとボウイの魅力がわかり始めた。これから時計の針を巻き戻して彼を辿ろう。楽しみが山積みだ。
・吉川晃司
一時は、新譜を聴ける事はもうないのだろうかと
残念に思っていただけに、この復活は嬉しい。
しかも、最も好きな70年代のボウイがいる。
そして相変わらずの捻くれ進行で魅了してくれた。
やはり、無二の格好良さ。
・CANDY
古く枯れた音、新しくキラキラした音。世の中に新しいマスターピースが誕生した。
ゴダールの映画で「未来は前、過去は後ろ」と台詞があった。
デイビッドのネクストデイは何処に向かう。過去を抱き、未来を見つめ今を紡ぐ。
あなたには何が見えている?それはきっとまたデイビッドが教えてくれるかな?
本作を聞いて解る事は、今ここにデイビッド、あなたがいるって事!
僕らの「前」にデイビッドが帰ってきた。
ねぇありがとう!本当に待っていたんだ、ずっとお腹がすいたままだったんだよ。
・栗原類
彼は一体何者なのか?
天才?神?
今でもわかりませんが、少なくとも僕は彼は「天から落ちてきた男」だと思います。
奇抜なファッション、奇妙な歌声、美しいルックス、エキセントリックなパフォーマンス。彼の捉え方は色々ありますが、彼は多分「神の使い」だと思います。音楽性が素晴らしく、あらゆるジャンルにマルチな才能を発揮してスゴイですが、さらにそのジャンルの中で新しい一面を世の中に披露し続けるというのが凄くカッコイイと思います。
この「あらゆるジャンルをやりつくす」というのも彼の魅力の一つです。
多くのアーティストは一つのジャンルに集中するケースが多いですが、彼はもはやグラムロックだけではなく、ジャズ,ロック,ディスコと可能な限り手を尽くし、何度も方向性を変えています。
なぜでしょう?
僕の勝手な想像ですが彼は音楽をもっといろんな人に知って欲しいからやっているんだと思います。彼は小さい頃から音楽と触れていたので、音楽の素晴らしさを色々な人達に知って欲しいと考えんだと思います。ファッションも美しく、何を身につけても自分を「美しくみせる」と同時に、自分が作った音楽とシンクロさせて「芸術」を創り出す彼は、もう僕にとっての永遠のアーティスト。神。そして永遠のヒーローです。
・澤竜次(黒猫チェルシー)
一人暮らしをしている部屋でデヴィッドボウイの音楽を聴いていると、
まるでこの世には自分とデヴィッドボウイの音楽しか存在しないように感じられてくる。
この素晴らしいニューアルバムも、一人占めしたい。ホーンセクションの音色や
「Valentine's Day」のリフやメロディーなんて、もはや『David Bowie』としか言い表す事の出来ない唯一無二のものだし、
こんなにも不気味な格好良さを放つ人は他に見たことが無い。
・ダイアモンド☆ユカイ
あの宇宙人はビートルズ、ストーンズから遅れて70年代にやって来た。
土肝を抜かれる程の煌びやかな危ないルックスと凄まじいくらいのオーラに包まれて降臨したジキー。
まるでヤンキーのようにプラスチックソウルを歌った「ヤングアメリカン」。
ベルリンで実験するかのように
生まれたポップスの歴史をアートに変えた「ロウ」
そして、アートとポップスの世界を彷徨う不可解な「ヒーローズ」
時代を弄ぶかのようなカメレオンマンの七変化は誰の追従も許さなかった。
常に新しい事こそが
ボウイだった。
80年代「レッツダンス」の爆発的ヒットでやっと時代がボウイに追いついたと思ったらそうじゃなかった。
あのNY9.11の追悼ライブで歌ったサイモン&ガーファンクルの「アメリカ」のカバーには痺れた。そしてその後に歌った「ヒーローズ」は
ロックを時代の高みに押し上げた
永遠のスタンダードだという事が改めて解った。
・高橋靖子
全世界に放たれた突然の贈り物を、手を差しのべて受け取りました。
過去も未来も、現在の中に抱え込んで、「次の日」を生きて行く勇気。
いつも人をびっくりさせる「Lovely surprise」が好きなデヴィッドは、
10年間の沈黙の後に、ものすごく大きなサプライズをくれました。
このエナジーに巻き込まれて、これからも生きていきます。
・高橋幸宏
先行で発表された「Where Are We Now?」を聴いて、期待は高まるいっぽうだったところ、遂にニュー・アルバムが出ましたね。
まるで、若かりし頃の彼が蘇ったような、でも、やはりこれが今のデヴィッド・ボウイなんだと強烈に感じさせる空気感でいっぱいの世界。
タイトルも意味深で好き。
・土屋昌巳
Bowie様
あなたがZiggy Stardustとして地球に降り立った時、僕の人生が決定してしまいました。そして、そんな人が世界中にいったい何人いるのでしょうか?
今、あなたから10年振りに届いたあなたの全身全霊を、こうして正座して幾度となく聴かせて頂いています。
そして思いました。やっぱり僕はあなたになりたい。
・日高央(THE STARBEMS/ex-BEAT CRUSADERS)
子供の頃に観た「怒りをこめてふり返れ」のMVのシュールさ(ストーリー性や整合性を一切無視)にノックアウトされた身としては、
大好きなアルバム『ロジャー』の雰囲気も湛えた今作には胸アツな想い! シャープなルックスに反して、実はフォークやブルースを通過した
コンテンポラリーなソングライティングがボウイの魅力でもあるので、それがアヴァンギャルドな表現とハマった時はまさに無敵!
また永く付き合える一枚に出会えました。かつて「怒りをこめてふり返るな」と歌ったノエルの反応も気になるところです♬
・Bo Ningen
ちょうど彼が沈黙し始めた時期に僕らはイギリスに住み始めた。
至る所で彼の音楽的影響は観念的に散布されており、それがこの国の空気を形成する一部なのだと感じた。
そして今、現実のものとして帰ってきた彼の最新作。
原点回帰という名の焼き直しや、安易な新しい音楽性の導入などを一切感じさせず、
彼の通ってきた歴史、国のポイント/ラインを改めて現代という空間の上に配置したような作品。
音楽家として、表現者として存分に感銘を受けました。
・布袋寅泰
「Where Are We Now?」の最初のコードで記憶の扉が全開になった。
まるで遠い日の少年の自分と出会ったような、温もりと悲しみが心を刺した。
何かを追い求め続けてここまできたはずの私たちは、今どこにいるのだろう。
この「次の日」と題されたアルバムは、過去に未来を置き忘れてきた我々のタイムカプセル。
今を生きるしかない「ロックンロールという美学」の完全なる形だ。
・山本寛斎
このアルバムには、彼の65歳の全人生が歌いこまれている。
彼の音楽や世界観に類似するものを持ったアーティストはいない。
そのクリエイションから迷いは、いささかも感じられない。
恐らく、自分の人生の完成を追い求めて突き進んでいるのであろう。
そこには、多くの悲しみ、苦しみ、孤独もあるに違いないが、それらの葛藤を超えて
新しい世界を追い求める彼の姿勢に、大いに共鳴するものである。
聴き終わった後、同世代を生きるクリエイターとしてさわやかな幸福感に満たされた。
同様に、このアルバムは、全世界の人々の心を鷲掴みにするに違いない。
・吉井和哉
僕はデビッド・ボウイになりたかった。
もっと言えばデビッド・ボウイになるために、僕は「THE YELLOW MONKEY」を結成した。
と言っても過言ではない。
だけどイエロー・モンキーの活動が止まる2000年頃には、もうデビッド・ボウイになりたいと思わなくなっていた。
余談だがイエロー・モンキーの最後のライブは、2001年の東京ドームで、ボウイの誕生日でもある1月8日だった。
最後のシングルのプロデューサーはトニー・ヴィスコンティにお願いし、「プライマル。」というタイトルで「卒業」のことを歌った。
僕は「スケアリー・モンスターズ」までのボウイをよく聴いた。
僕の周りのコアなファンの方々が嫌う「レッツ・ダンス」も実は大好きだ。(最近は特に)
しかしその後のボウイの作品は、個人的にあまり好みではなく、さほど聴くことはなかった。
僕はソロアーティストになり、アメリカへ向かった。
デビッド・ボウイじゃない自分を探しに、、、。
それでも「ボウイのコンサートがある」と聞けば駆けつけた。
サダム・フセインが逮捕された日のニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでのショーも観た。あの日、観客と大合唱した「アンダー・プレッシャー」は本当に感動的だった。
僕はソロアーティストとして、七転八倒していた。
そして10年の月日が流れた。
僕が1番多く所有するボウイの音源はあまり再生されることはなかった。
ボウイの活動も途絶えていた。
ボウイはもうこのまま引退しちゃうんだろうなと思っていた。
ルーリードやイギーも元気なのに、、、。
そして今年の1月8日。
あまり期待せずに(と言うより期待を抑えて)ボウイの新曲の動画を再生した。
……………
あの猫の瞳が歌っている。
音楽を聴いて久しぶりに涙が流れた。
こんなことってあっていいの?
デビッド・ボウイは二人いたの?
本物のデビッド・ボウイが帰ってきた。
超ヨーロッパじゃん!!!!!
ボウイはヨーロッパの男なのである。
おかえりなさい、僕のデビッド・ボウイ。
・レディー・ガガ
デヴィッド・ボウイは私に、自分のやっていることが正しいと自信を持たせてくれたの。彼は人と違っていたわ。出る杭になって、流行に抗って、人々をあっと驚かせていたのよ。そういうところが大好きだったわ。ミュージシャンとしても天才よね。彼が単語の書いた紙切れを切り刻んだものから歌詞を作ると知って、自分でもやってみたことがあるの。彼の服装も、彼が「アラジン・セイン」、「シン・ホワイト・デューク」(痩せた青白き公爵)、「ジギー・スターダスト」になっていったのも大好きだったわ。演出も、夢も、ヴィジョンも、そして歌も、とにかく素晴らしい人よ。