ウータン・クラン、96年のトゥパックの死がヒップホップを変質させたと語る

ウータン・クラン、96年のトゥパックの死がヒップホップを変質させたと語る

ウータン・クランのマスタ・キラとプロデューサーのマスマティクスは『NME』の動画インタヴューに答えており、ヒップホップを変えた事件として1996年のトゥパックの銃撃死事件を挙げている。

当時、人気絶頂だったトゥパックは1996年9月にラスヴェガスで車で移動中に銃撃に遭い、その後病院で死亡したが、この事件がヒップホップの基本的な性格を変えてしまったとマスマティクスは次のように語っている。

「ヒップホップを変えた瞬間となったら、パック(トゥパック)の死になるね。というのも、パックが死んだ後は、俺個人としてはまるでブルース・リーが死んだのと同じような感じを受けたからなんだ。たとえば、ブルース・リーが死んだら、残された連中はみんなブルース・リーの真似っこばっかりになったんだよね。ジャッキー・チェンだってそうだったわけで、最初はみんな、ジャッキ―・チェンのことはブルース・リーの代用として利用してたわけだからね。それでパックが死んだら、同じように誰も彼もがパックのようになろうとして、それでヒップホップそのものも変わってしまったんだよ。それまでのヒップホップっていうのは、誰かのようになりたいってことじゃなくて、自分は誰なんだっていうオリジナリティで勝負する世界だったわけだからね。そういうところがそれ以降はちょっと変わっちゃったんだよね」

また、この事件の衝撃をマスタ・キラは次のように振り返っている。
「他のジャンルの音楽だったらね、たとえばザ・テンプテーションズのメンバーとか、そういうことはないわけだよね、4発銃撃されて死ぬなんてことはさ。他の音楽のジャンルでこういう事件なんて聞いたことないよね。で、ヒップホップにとって、これはとんでもなくヘヴィーな事件になったんだよ。俺も心配になったからね。おっかねえなあって。これまで通り、普通に、気軽に仕事の現場に行けるのかなあってさ。自分の生業をこれまでのように楽しめるんだろうかって。あるいは自分の仕事を現場でやってそこで満足できるんだろうかってね。たとえば、この仕事をやってきたことで俺は自分の人生の他の部分を過去に置いてくることができたわけなんだよ。でも、こういう事件が起きちゃうとさ、なんだよ、これじゃあ昔の生活のまんまじゃんってことになるわけでさ。しかも、そういう事件がいまだに現在進行形で起きてるわけだからね」

また、ヒップホップにとって歴史的な名盤はどれかという問いについてマスマティクスはウータン・クランのレイクウォンの1995年のソロ作品『オンリー・ビルト・フォー・キューバン・リンクス』を挙げている。

「というのも、『キューバン・リンクス』は今でもその影響がよくみかけられるからなんだよ。誰それと誰それといろんなキャラを使い分けたりとか、MCの様々なスタイルとかもね、このアルバムで生まれたものが多いんだよ」

それに対してマスタ・キラは「『キューバン・リンクス』が挙がったとなると、どうしても(ウータン・クランのファーストの)『燃えよウータン』も挙げなければならない」と語っている。

「それまで世の中は、MCの集団というものを、しかも集団としてすごい音を作れるMCのグループというものを目撃したことがなかったからなんだよ。10人揃ったら、3人くらいしかいい音は聴かせられないというのが普通のパターンなんだけど、メンバー全員がソロ・アーティストとして充分にやっていける技量の持ち主だったっていうのは、なかなかなかったことなんだよね」

マスタ・キラとマスマティクスの動画インタヴューはこちらから→

(c) NME.COM / IPC Media 2013
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