キース・リチャーズの元恋人、ジミ・ヘンドリックスを発掘した経緯を明かす

キース・リチャーズの元恋人、ジミ・ヘンドリックスを発掘した経緯を明かす

かつてジミ・ヘンドリックスの才能を誰よりも早く見抜き、ザ・ローリング・ストーンズのキース・リチャーズとも交際を重ねていた、60年代後半のイギリスで活躍したモデルがどのようにして自身がジミを脚光へと導いたかを語っている。

そのモデルとはかつてイギリス版の『ヴォーグ』誌でも活躍したリンダ・キースで熱狂的なブルース・ファンとして当時から知られていたが、自身の親友がストーンズのマネージャー、アンドリュー・ルーグ・オールダムと交際していた縁でストーンズの面々と引き合わされ、キース・リチャーズの方がリンダに一目惚れしてしまったという。この当時、イギリスを代表するファッション写真家のデイヴィッド・ベイリーのモデルとしても活躍するようになっていたリンダは、キースとの仲を次のように『オブザーヴァー』紙に回想している。

「キースは本当にブルースが好きで、だからわたしたちも、ものすごくうまが合ったのね。キースの元々の内気さとはまるで矛盾する性格の一面だったし、そもそもわたしもブルースの話しかしたくなかったし」

しかし、リンダはストーンズのレコードを自宅のレコード・プレーヤーでかけることはキースに禁じていて、「わたしがストーンズについてはそんなにファンではないのはわかってたと思うんだけど。ブラック・ミュージックにあまりにもはまってたから、ストーンズだとちょっと薄っぺらく感じてしまったのね」と説明している。そんな関係の交際を通じてリンダはストーンズのアメリカ・ツアーにも同行し、アメリカ滞在中は主にロサンゼルスとニューヨークで過ごしていたが、交際3年目にして5度目のアメリカ・ツアーの時にリンダはニューヨークでまだジミー・ジェイムスとして活躍していたジミ・ヘンドリックスを発見することになった。最初にライヴを観たのはニューヨークのチータ・クラブでのことだったと次のように語っている。

「わたしにはもうあまりにも才能の凄さが明らかだったのね。それにポッと出の新人じゃないのは歴然としてたし、誰もこれまで目をつけていないのが信じられなかったのよ。とにかくジミは驚異的で、音楽のもたらすムードだとか、カリスマとか、技量とステージの存在感でも、どれも途轍もなかったの。でも、誰も興奮して跳び上がったりしてなくて、それがわたしにはもう信じられなかった」

リンダがまず考えたのは「もちろん、キースにまずこれを観せなくちゃ」ということだったというが、ジミとの接触を図るリンダの行動はそのまま、「別な男といちゃついている」という情報として取り巻きを経由してキースに伝わることになってしまったという。「わたしが気になっていたのは、ジミが少しでも早く気づかれて、レコード契約にありついて、みんなの頭をぶっ飛ばしてやるべきだということだけだったの。その才能がすべてそこにあったのがわかったから、わたしとしてはそこに猛チャージしていったのよ」とリンダは当時の心境を振り返っている。

リンダはまずストーンズのマネージャーのアンドリューにジミのライヴを観させたが、この時のジミのパフォーマンスがよくなかったこととジミのファッション・センスがひどすぎたため、アンドリューの気を引くことにはならず、さらにアンドリューもキースの機嫌を心配するばかりで、ジミのことはむしろ知りたがっていない様子だったとリンダは語っている。

その後、リンダは後にサイアー・レコードを創立し、マドンナの才能を見出すことなるシーモア・スタインにもジミのライヴを観させることになったが、この時にジミはギターをステージで破壊し、これがあまりにも物議を呼んだため、スタインはその後尻込みしてしまったという。しかも、この時、ジミが破壊したギターは実はキースのギターをリンダが貸したものだったとか。

しかし、ジ・アニマルズのマネージャー、チャス・チャンドラーを誘って、ジミのライヴをニューヨークのカフェ・ホワ?での午後の出番で観に行った時、遂に自分の見込んでいたものを目撃することになったとリンダは語っている。

「まだ昼間で明るい外から洞窟のような部屋に入って、するとステージに照明がついてジミが“ヘイ・ジョー”のオープニングのコードを弾き始めるという。これは相当にぶっとびもんだったし、最初のコードだけでチャスがすっかりやられちゃったのも無理なかったわ。わたしもそうだったから。だけど、絶対にこうなるはずだとわたしにはわかってたんだから!」

なお、この当時、ジミはすでにジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのファースト『アー・ユー・エクスペリエンスド』に収録する楽曲の多くの初期ヴァージョンを形にしていたという。その後、ジミはチャスとともにイギリスに拠点を移し、成功を手にしていくがその過程でリンダはジミから遠ざけられていったという。

「あれこれどう対応すべきか指示してくる、マネジメントも彼女もできて、わたしの存在がどこか危ないものになったんじゃないかしら。わたしが売れ線の音楽はやめて純粋なブルースをやるようにとたぶらかすんじゃないかと思われたのかもしれないわね」

その一方でキース・リチャーズはリンダがニューヨークでドラッグ癖に溺れ始めているとリンダの身を案じ、そのことをリンダの父親に伝え、父親自らニューヨークに乗り込んでリンダはロンドンに連れ戻されることになったという。

「(ロンドンに戻ると)キースがどこか得意気な感じで待ってたのね。それでファック・オフと言ってやったわ。キースはちょっと汚い手を使ったと言えるわけだし。でも、キースは純粋にわたしのことを心配してくれていて、自分なら救い出せると思っていたのよね。それに実際、あの時、本当に助けてもらったんだと言えるのかもしれないのよね」

ロンドンに戻ってからもジミとの連絡はほとんどなくなったというが、死ぬ直前に手紙を貰ったとリンダは語っている。
「具合が相当悪くなった時にはわたしのことをまだ頼りにしてくれていたみたいで。ジミは手紙で新しい曲を書いたと言ってて。"See Me Linda, Hear Me, I’m Playing the Blues"(リンダ、観てくれ、聴いてくれ、ブルースをやってるよ)というもので。ジミのブルース演奏は大好きだったけど、でも、それを言ったら、ジミの曲はほとんどがブルースのように思えるのよね」

なお、ジミが成功を手中にしていく数年についてはジミの新作伝記映画『All is by My Side』で描かれていて、ジミをアウトキャストのアンドレ3000、そしてリンダはイモージェン・プーツが演じている。映画は先頃トロント映画祭で初公開された。
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