ビートルズと共にリヴァプールで活躍したジャッキー・ロマックスが他界

ビートルズと共にリヴァプールで活躍したジャッキー・ロマックスが他界

ザ・ビートルズのレコード会社アップルと契約していたこともあり、ソロ・アーティストとして長く活動を続けていたジャッキー・ロマックスが他界した。享年69歳だった。オフィシャル・サイトによれば、ジャッキーは病気を患った後、リヴァプール近郊のウィラルで息を引き取ったという。

オフィシャル・サイトの管理人によれば、ジャッキーの家族から訃報を受け取ったとのことで、リヴァプールのザ・ビートルズ・ショップも同様にジャッキーの訃報を知らされたと明らかにしている。

ジャッキーは60年代末にビートルズが立ち上げたアップル・レコードの契約アーティストとなったが、ビートルズとはリヴァプールのキャヴァーン・クラブで活動していた頃からの付き合いで、当時ジャッキーはリヴァプールでも随一の人気を誇るバンド、ジ・アンダーテイカーズのメンバーだった。かつてアップル・レコードの広報を担当していたトニー・ブラムウェルは次のように『ビルボード』誌に語っている。

「ジャッキーはすごいロッカーでね、筋金入りのロックンローラーだったんですよ。ジ・アンダーテイカーズは60年代初期のリヴァプールでは最高のバンドだったんです。連中のヴァージョンの“マッシュ・ポテト”は最高でしたよ」

また、ブラムウェルはジャッキーをアップルとの契約に誘ったのはジョン・レノンだと明らかにしていて、アップルでの最初のシングルとなり、ジョージの曲だった“サワー・ミルク・シー”ではビートルズがバック・バンドを務めることになったという。

ただ、このシングルは“ヘイ・ジュード”やメアリー・ホプキンスの“悲しき天使”の大ヒットに埋もれてしまったとブラムウェルは振り返っていて、ラジオでは頻繁にかかったのだがセールスは伸びなかったと説明している。ジャッキーは1969年にアルバム『驚異のスーパーセッション』もアップルからリリースしたが、アップルから離れるとアメリカのロスアンジェルスに移り、作品リリースを続けた。その後、レコーディングとアメリカ西海岸でのライヴ活動に打ち込んでいた。

その後のジャッキーの様子については「もう長い間病気を患っていましてね。癌ですっかり身体が細くなってしまってたんですよ」とブラムウェルは回想している。アメリカでは長い間、保養地として有名なカリフォルニア州オハイに住んでいたが、子供のひとりがイギリスで結婚を控えていたためイギリスに帰国して滞在を続けていたという。オフィシャル・サイトでは、ジャッキーがアルバムもすでに完成させていることを明らかにしていて、数か月のうちにリリースされる予定になっているという。
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