全40ページの大特集「さらば、『踊る大捜査線』!」。
CUT次号は明後日、8月18日発売です。
これは、その号に掲載している編集後記です。
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『ダークナイト ライジング』のアメリカ公開日である7月20日、コロラド州オーロラの劇場で起きてしまった死傷者70人におよぶ、痛ましく許せない銃乱射事件。逮捕されたジェームズ・ホームズは、故ヒース・レジャーが演じた前作『ダークナイト』の悪役・ジョーカーに感化されていたという。ゴッサム・シティの人々を極限の恐怖に陥れ、熱い良心の持ち主である地方検事のハービー・デントの人格を破壊し、正義のヒーローであるバットマンを追い詰めていくジョーカー。その独特の「知性」と「強さ」に裏打ちされた徹底したアンチ・ヒロイズムが、もしジェームズ・ホームズという男が自分のおぞましい犯罪行為を神聖化する引き金になったのだとしたら、こんな悲しく腹立たしいことはない。ジョーカーが示す、恐怖こそ人間が最も抗えない絶対のものであり、すべての良心や正義は恐怖の真の姿の前には平伏すに違いないという考え。それ自体は、人間が誕生して以来どこにでもある、誤解を恐れずに言うなら当たり前のように蔓延している考え方である。そして、戦争や犯罪やいじめを決して望んでいない多くの人も、どこかでジョーカーのような恐怖絶対主義を明確に否定するロジックがないと感じているかもしれない。3作かけて描かれてきたクリストファー・ノーランの『バットマン』シリーズのテーマは、その恐怖絶対主義に打ち勝つヒーローにブルース・ウェインがなれるかどうかである。そのためにスケアクロウ/ラーズ・アル・グール/ジョーカー/ベインといった、容赦のない強さの様々なタイプの悪役がノーランの映画表現を駆使して実体化されてきた。そしてバットマンが彼らとの戦いに肉体的にだけでなく、思想的に勝ち、希望と正義を描くことができるか――その答えは、多くの人が劇場で確かめたはずだ。
そんなことを何一つ理解できない、ただ「恐怖」に呑みこまれただけの男が劇場を、映画を汚し、多くの人を傷つけて命を奪った。「恐怖」に打ち勝つ映画の灯を絶やしてはいけない。(古河)