アーティスト

    北野武映画の正しき批評性に殺られる

    北野武映画の正しき批評性に殺られる

    明日発売の北野武表紙のCUTに掲載している編集後記を1日早くアップします。
    早めにゲットしないと売り切れる書店もあるかもしれませんのでご注意。
    ―――
     前号のこのページで今夏、日本で公開された映画で予想を超えるヒットを記録した映画として『おおかみこどもの雨と雪』『アベンジャーズ』『るろうに剣心』の3作品を挙げたけれど、今月は、そこに北野武最新作『アウトレイジ ビヨンド』も加わる形となった。この『アウトレイジ ビヨンド』もまた、これらのヒットした映画と同じように観客の「楽しむために映画を観る」という気持ちにまっすぐ応える極めてエンターテインメント性の高い映画であるが、他の映画と大きく異なるところもある。それは、北野武映画のすべてに言えることでもあるが、その徹底的な批評性の高さである。先述の3作品いずれも単なる娯楽作ではなくて、それぞれの映画の中心には作り手の目の前の時代に対する批評的なメッセージが込められている。しかし『アウトレイジ ビヨンド』の場合は、その批評性が作品の最初から最後まで常に剥き出しになっている。また前作『アウトレイジ』の場合は、その批評性が暴力シーンの痛みと共に伝わってきたが、今作は敢えてそれを暴力の痛みと分離させている。その代わりに躍動的かつ巧妙なストーリーによって、僕たちの目の前にある時代の「悪」、もしくは僕たちの中にある「悪」を鋭く批評してみせるのである。
     前作『アウトレイジ』のラストシーン、泥沼の抗争の果てに最後に笑ったのは加藤(三浦友和)、石原(加瀬亮)、片岡(小日向文世)の3人だった。この3人は、現代の日本社会にほぼ無意識的にはびこっている「悪」を象徴している。しかも、それは危うくて地盤の脆い「悪」である。そして、その「悪」は自分の中にもあると感じる。『アウトレイジ ビヨンド』でこの3人が辿る運命を観ていると、前作で馬脚を現したそいつらが、今作でバッサリと判決を下されるような感覚がある。そして同時に自分の中には大友(ビートたけし)もいて、現実の中では萎縮して死にかけていたようにすら思えたそいつが、今作を観終わったあとは見事に息を吹き返しているのを感じる。観客の心に、そんな正しき変化をもたらすエンターテインメント作品『アウトレイジ ビヨンド』は凄い。(古河)
    CUT 編集部日記の最新記事
    公式SNSアカウントをフォローする

    最新ブログ

    フォローする
    音楽WEBメディア rockin’on.com
    邦楽誌 ROCKIN’ON JAPAN
    洋楽誌 rockin’on