続・ジョン・モス/カルチャー・クラブの話


先々週~先週のことですが、サマーソニックでBOW WOW WOWを観て、
テンション上がってしまい、カルチャークラブのボーイ・ジョージは
昔BOW WOW WOWにいたとか、ドラムのジョン・モスもそうじゃなかったっけ、とか、
そのあと調べたけど真偽のほどがわからない、とか、35歳以下の人と、
80年代に流行り物の洋楽を聴いていなかった人には、
なーんの意味もないことを、このブログに、うだうだと書きました。

こちらです。http://ro69.jp/blog/hyogo/56400

あと「サマソニブログ'11」の、ここにも。http://ro69.jp/blog/smrsonic11/56341


で。これ、自分でもちょっとどうかと思うほど、大半の読者のみなさん、
置いてけぼりな内容だよなあ、とか、ちょっと反省していたのですが、
驚いたことに、食いついてきてくれた方がいました。

>ブログで、カルチャー・クラブのジョン・モスについて
>書いてあったので、私の持っているLPで探してみました。
>参考になればうれしいです。

と、そのLP=カルチャー・クラブの4thアルバム、
『ラグジャリー・トゥ・ハートウェイク』に入っているライナーを、
コピーして、封書で送ってくれたのでした。
上の写真がそれ。
ありがとうございます……名前書いていいのかな、わからないから
やめとこう、えーと、東京都三鷹市の、Jさんという方です。
ラジオDJか俺は。

で。このライナー、下の方に、バンドのバイオグラフィーの欄があって、
そこにそれぞれのメンバーの経歴が書いてあって、この方、
丁寧に、ジョン・モスのとこに、赤線引いてくれています。
それによると、ジョン・モス、19歳の時に音楽事務所に所属して、
そのあたりから、いろんなバンドを転々としていたようです。
特にびっくりなのが、この4つ。

・1976年頃、フォーン・ボーン・ブルーヴァードというバンドに参加。
って、このバンドのことは知らないが、トーマス・ドルビーも在籍していたそうです。

・同じ頃、クラッシュのオーディションを受け、2ヵ月在籍。
へえー!

・これもびっくり。1977年、ダムドに加入。が、翌年バンドが活動停止。

・1980年、アダム&ジ・アンツに参加。しかし『アダムの王国』が
大ヒットする前にバンドを去る。


BOW WOW WOWって、マルコム・マクラレンが、アダム&ジ・アンツから、
アダム・アント以外のメンバーを全員引き抜いて作ったバンドなので、
そのあとに入ったドラムがジョン・モスだった、ということになるのか。
それとも、その間に、また誰か違うメンバーがいたりするのか。
わかりませんが、つまり、当時、そのへんの、オリジナル・パンク~
ニュー・ウェイヴのシーンをうろうろしていたミュージシャンの
ひとりだったわけですね、ジョン・モス。
とりあえず、これで、BOW WOW WOWに在籍していたという事実はない、
ということがはっきりしました。ありがとうございました、Jさん。


ちなみに、このJさん、もうひとこと書いてありました。

>渋谷さんのライナーまであるとはびっくりしました!(笑)

そう。このライナー、当時ミュージック・ライフの編集長だった
東郷かおる子さんと、当時ロッキング・オンの編集長だった渋谷陽一、
両方のペンによる解説が載っているのでした。
しかし、東郷さんの方は、文章の最後に(ミュージック・ライフ編集長)
と、書いてあるのに、渋谷陽一の方は、どこにも書いてない。名前だけ。
なんでだろう。
ちなみに、1986年の作品です。