TOMOOが突然リリースした新曲“バースデイ”は、これまででいちばん新しく、いちばんTOMOOらしい曲
2時間前
TOMOO史上最速のBPM。ミニマルに動くピアノの内声と、命のさざめきを祝福するようなビート。とても1曲とは思えないメロディの贅沢な動き。まるで朝の日差しを浴びた湖面のように、1秒1秒がハッとする新鮮なきらめきに満ちていて、音楽が見せる景色がこんなにも豊かなことを余すことなく伝えてくる。TOMOOがなんの前触れもなくリリースした新曲“バースデイ”は、プログレッシブと言っていいほど複雑なサウンドプロダクションを携えながら、爽やかに軽やかにアーティストイメージを刷新する新境地の楽曲。けれど、同時にTOMOOのコアを伝えるど真ん中の楽曲だと思う。過去の楽曲のフレーズを思わせる言葉。TOMOOにとって心とニアリーイコールで結ばれる水のモチーフ。間違いと正しさ、甘さと苦さといった相反するイメージ。TOMOOらしさを感じる要素はたくさんあるけれど、でもそれだけじゃない、ここに歌われていることこそがどうしようもなくTOMOOだなと思うのだ。思えば、最近のTOMOOは楽曲の生みの苦しみ、もっと言えば、メロディを誘う心のままの感性を失うことへの恐れを口にしてきた。“大人になったら”のインタビューでは、経験を重ねるほど、自分の中にいる子どもの自分が出てこられなくなるのではないかという不安と、それを失ったと思うことこそが思い込みなのかもしれないという願いを。日本武道館のMCでは、「自分」をその時々に触れたものが注がれる「透明な器」にたとえ、心や豊かさは自分の内側だけでなく、人や世界との「間」にあるのではないかという思いを語っていた。TOMOOにとって楽曲とは、日々を生きるうえで時に些細に、時に大きく揺れる心の琴線が引き金になって、自然の水の流れのように生まれいづるもの、という印象があった。“バースデイ”が紡ぐ物語は、鏡が映し出す自分=セルフイメージと、あなたの目が映す自分=他者の眼差しに映る姿とのズレへの気づきから、傷や間違いを抱えた自分の中にもピュアネスを見出し、本当のことを言おうとする時にはまだ涙が流れることに気づく、というストーリーラインだ。この曲では明確に「あなた」が出てくるし、純然たるラブソングとしての尊さを持っている。けれど、どうしても自分の瑞々しい感性への信頼と、楽曲が生まれることへの祝福のように感じてしまうのだ。《この先は想像の先》というのは、アリーナツアーという大舞台を控えた今、TOMOOのアーティストとしてのキャリアを意味しているように感じられてならない。その先に決まった向こう岸はなくても、あなたと泳いでみたい。そんな歌に、これまでのTOMOOの歩みも重なって見える。TOMOOはこれまで、マイルストーンとなるようなワンマンライブに、たびたび「水」をイメージする言葉を冠してきた。メジャーデビューのタイミングでは「Estuary」=河口から音楽シーンの大海へ飛び出し、2024年夏のライブハウスツアーでは「Puddles」=水たまりに映り込む景色のように自身の楽曲で多様な景色を共有し、初の日本武道館開催前には「Anchor」でアーティストとしての錨をそっと下ろした。そして、固有のタイトルを付けなかった武道館は、集まった人それぞれの思いが注がれる「透明な器」になった。その器に今、《本当のこと言おうとして/止まらなくなる涙》がそっと注がれていく──何かを象るような水飛沫がきらめく“バースデイ”のジャケットを見ながら、国民的映画の主題歌を届けたあとで、不意にアーティスト自身の相似形のような曲をリリースすることの意味を受け取った。イヤフォンで聴くのが窮屈に感じるくらい、音が見せる景色がとにかく広いこの曲。アリーナという広大な空間で、TOMOOを含めた14人の音とともに生で紡がれた時に、曲が持つ本当の広さが目の前に現れる気がする。(畑雄介)