今回のツアーで大木は、本編ラストの「OVER」の前のMCでこの楽曲のテーマであると同時にACIDMANの音楽の根底をなす死生観を懸命に言葉にしようとしていた。これまで彼らは敢えてそれをそこまで言葉にしようとはしてこなかった。それは音楽で語ることだからである。しかし今回は、それを敢えてしたのはなぜなのか。それぞれの日のライヴは、その日だけのライヴであり、全ての観客が再び一同に介することはないのだから、持っているもの全てを使って自分達の音楽を目の前の人々に伝えよう、というモードに彼らがなったからである。とても言葉にしにくいことを言葉にしようとしているので上手な喋りではなかったが、そのMCがあることで「OVER」がとても饒舌な曲になっているように聴こえた。
そしてアンコールは本当に言葉がいらないほどの盛り上がりを見せ、2度目のアンコールの「廻る、巡る、その核へ」は11分の大曲で他のバンドなら絶対にラストには持ってこない曲だが、この日の観客はその曲紹介で大きくどよめき、曲が始まって後ろのスクリーンが開くと大きな拍手が起こった。演奏中、一歩も動けなくなるような曲だが、曲が終わると武道館はこのうえないライヴのカタルシスに包まれた。
僕が知る限り、今日はACIDMANの音楽が今までで最も観客に伝わったライヴだった。伝えることへの意識が全く変わったACIDMANがこれからどのような作品を作るのかが心から楽しみだ。(古河)