
新作『Journal For Plague Lovers』のリリースを目前に控え(英リリースは来週の5/18(月)。日本は先行!で明日5/13(水))、
また国中のタブロイドが95年に起きた「リッチーの失踪事件」にまつわるエピソードをネタにし始めた。
「長年リッチーが俺たちに残していった詩を歌にする心の準備ができていなかった、、、でも遂にこれを実現させるべき時期がきたっていう決心がついたんだ。
また同じ部屋でリッチーと一緒にいたい、って気持ちが蘇ってきてたから」。
というジェイムスの最近のコメントを記事に使ってるのはいいんだけど、
「Manics on "Dead" Richy's album」なんていう、
当人達や家族に対する配慮のカケラもないヘッドラインだけはなんとかならなかったんでしょうか?
無神経で、無遠慮で、チープな詮索根性丸出しで、
これだからイギリスのタブロイドは嫌われるんだよな、、、。
筆者にとっての「リッチー最後の想い出」は、
あの94年の『ホーリー・バイブル』リリース前の取材&フォト・セッションで過ごした数時間だった。
筆者はマニックス日本盤の歌詞対訳を初期の頃からよく手がけさせてもらっていたのだが、
あのアルバムの英詩(8割がリッチーによるもの)は、特に難解な造語やパーソナルな各種アート/政治社会史に対する供述が多く、
かつてないほど苦労したのを覚えている。
当時は今みたいにPCも普及してなかったので、
近所の図書館に何日も通い詰めて西洋史、社会政治学etcの書籍を漁り必死でリサーチをしたり。
それでも「解らないよ〜〜〜これ(泣)。どういう意味?」な箇所が結構出てきたので、
その取材を終えた後、放課後に残された劣等生よろしくリッチー先生にみっちり教えを買うたわけだが、
当時のリッチーは少なくともまだ心理的な安定を保っていて、
「これは何?」「この造語は何を指してるの?」「この綴りって反則じゃない?」などと根ほり葉ほり訊く筆者に、
実に辛抱強く、優しく、丁寧に教えてくれる「良き先生」だった。
この人、もしかしてロック・バンドなんていうヤクザな道に入るより、
大学教授になるか社会奉仕業にでも入ったほうが平和な人生を送れるのでは?、、、。
などと本気で思ったのを覚えている。
だからこそ、あれ以後リッチーに対する英プレスからの集中砲撃が一層激しくなり、
別人か!?と見違えるほど面変わりしたリッチーの写真を紙面で見たり、
「どうやらまた入院したらしい、、、」などという記事を目にしたりする度に痛々しくて、堪らない想いだった。
そして、あの約半年後の95年2月、ふっと我々の前から姿を消してしまったリッチー。
思えば、あれからもう14年、、、。
もし本人がどこかで生きていたとしたら、今年で41歳になる。
41歳のリッチー?今の筆者には想像もできない、、、。
でも、あの神経症っぽい優しい笑顔がもう一度みたい。