Plastic Treeの「変化」についてのコラム的な文章(前編)


Plastic Treeのニューシングル『マイム』を聴いて思うことがいろいろあったので、ちょっと書いてみる。
長くなりそうな予感がするので、お時間ある方、ぜひ。

Plastic Treeはヴィジュアル系バンドとしての出自を持ったバンドだが、それ以前に、とても骨太な、美学を持ったロックバンドである。
特に最近の曲はロックバンド的なる音作り――わかりやすく言えば、いかにバンド的な肉体性を鳴らすか、という構造に振り切っているように聞こえる。

有村に何度かそんな話をしたことがあるが、自覚はありつつ、戦略的な何か、ということではないみたいだ。
ということは、先ほどの言葉で言うなら、「美学」というより、4人の自然なモードの変化の結果として、ロックバンド性が出てきている、ということになる。
その意味では、左脳的な美学というより、右脳的な快楽現象、と言っていいかもしれない。

その変化は、最近の楽曲――”瞳孔”や”曲論”を聴けばわかると思う。

だが、これは第一段階の変化だったということがこれを聴けばわかる。
新曲”マイム”である。

ギターリフからして違う。
ナカヤマアキラは日本随一のギタリストだと思うが、彼の素晴らしいところは重厚的な音作りもさることながら、その緻密なエフェクトの中にプリミティヴな「鳴り」を仕込んでおけるバランス感覚にある。
具体的にいうと、弦とピックがぶつかる「アタック」感がよくわかるのだ。
彼の左手がフレットを押さえ、右手に持ったピックが弦を弾く瞬間がよくわかる。
音自体は極めて構築的であるにもかかわらず、だ。
美学的で、かつフィジカル。
この曲のリフは、ナカヤマアキラのセンスと、今のPlastic Treeが体現するバランス、その端的な例だ。

また、ベースの鳴り、ドラムのハイハットともに非常に瑞々しくデザインされていて、バンドとしての生々しさが「仕上げられた」楽曲になっている。
狙い、だと僕は思ったが、有村さんに訊くとやはりそこまでの自覚はないようだ。
「でも、思えば―――」というエピソードが8月30日発売のJAPANで語られているので、ぜひ。

やっぱり長くなってしまったので、次のエントリーに続きます。すみません。
小栁大輔の「にこにこちゅーんず」の最新記事