主に弾き語りになるわけだが、星野源の「ひとりきり」には恐ろしいことに「すべて」がある。
些細な生活的断片にぐっとくる感じやフェティシズム、歌う喜び、自分を救ってくれた音楽への愛情、あるいはひとりきりの時間に襲いくる狂気の欠片やひとりきりだからこその楽しさ、無邪気さ。
そういった要素はすべて、星野のメロディと歌と言葉に込められている。
あの豪奢な洪水のようなアレンジがないひとりきりのステージがこんなに贅沢で、こんなに満足できるものになるのはそのためだ。
星野源のエンターテインメントは、何より等身大なエンターテインメントだ。
そして、その等身大のステージとは星野源の音楽にとって、「生まれてくる最初の場面」であると同時に、ある意味、完璧なかたちでもある。
これは体の中に本物の動機を抱えている人でなければなし得ないレベルの表現だ。
出発点を見せることが最高のエンターテインメントになるのだから、素晴らしいとしか言いようがない。
演出のひとつひとつに星野節が行き届いた楽しすぎる時間だった。