ゲスの極み乙女。の横浜アリーナを観て考えたのはこんなことだった

ゲスの極み乙女。の横浜アリーナを観て考えたのはこんなことだった
ゲスの極み乙女。の音楽には、あらかじめ悲しみの要素がインプットされている。
悲しみがピンと来なければ、やるせなさでも、苛立ちでも、居心地の悪さでもいいが、ポップという響きからは想像もつかないような、日々を生きていて感じる違和感自体を歌にしているところがある。

横浜アリーナのような大きな会場でゲスの極み乙女。を観ると、そのことの凄さをあらためて感じる。
ゲスはたまらなくポップなバンドだが、そのポップさが根ざしているのは、誰もが知っていて、だけど言葉にできていない違和感、僕の言葉で言わせてもらえるならば、言いようのない悲しみだ。
その表現ーーというか、世の中を見たときの批評眼が鋭いから、ゲスの楽曲は巨大な共感を呼び、ポップな存在でいられるのだ。

今日はたくさんの曲を聞かせてくれたが、初期の曲が特に素晴らしかった。そんな違和感の「包み隠さなさ」が最高だった。
そういえばゲスは、

「僕も君もあんたもみんな 本当は悲しいよな? なあ、悲しいよな?」("ぶらっくパレード")

なんて言葉から始まったんだなあ、ということをあらためて思う。

アヴァンギャルドで、そのアヴァンギャルド性こそが誰にも真似できないポップを生んでいる。
その鋭いセンスに今日も酔わされた夜だった。
本当に最高だった。痛快なライヴだった。
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