SEKAI NO OWARI、奇跡のツアー「INSOMNIA TRAIN」最終日を観て

SEKAI NO OWARI、奇跡のツアー「INSOMNIA TRAIN」最終日を観て
全12公演、セカオワ最新のツアーが昨日終わった。
僕は4月7日の初日、熊本から昨日の札幌最終日まで、4公演観させてもらったが、そのどれもがまるで違う、だけどやはり、そのどれもがこれでなければならないという徹底的に追求されたステージだった。
繰り返されるたびに深度を深めていく、エンターテインメントの真髄と言える素晴らしいツアーだった。

セカオワの世界にはまずアイデアがある。
今回でいうなら、INSOMNIA TRAIN=眠ることの許されない列車、というアイデアがまずあった。
ただしそれはただの偶然めいたひらめきではなく(いや、Fukaseは、偶然だよと言うかもしれないけれど)、彼らが生きるなかで感じている実感やその目で見て来たもの、あるいはこれから向き合うべき何か、といった、彼らと地続きの何かに根ざしている。
そこがセカオワのファンタジーの何より素晴らしいところで、世界観がぶっとんでいけばいくほど、受け手の胸に迫るテーマに近づいていくのはそういうことなのだと思う。
それは日常にファンタジーは眠っている、ということとも少し違くて、日常もファンタジーも表裏一体になっていてすべては考え方次第なんだ、ということなんだろう。
そうやって生きてきた4人が、その日常をファンタジーに変える考え方と感じ方を包み隠さず託してきた楽曲たちは、だから、生まれてからどれだけ時間が経っても変わらず、「セカオワの今」を歌ったものになる。
セカオワがやってきたこと、その流儀は変わらない。そして、だからこそ、毎回ライブのたびに進化し、変わっていくことができるのだ。
生身の人間の、生身の人間による、生のエンターテインメントだからこそ、毎回違う表情を見せながら、その違いにはそれぞれにリアルな4人の今が感じられた。

Fukaseの進化は特に凄かった。
どこまでも深まっていくパフォーマンスの精度に今さらながら恐ろしさを感じたし、あんなことこんなことを見せれば見せるほど、Fukaseという人の匂いが漂ってくるようだった。
これほど生々しいFukaseのパフォーマンスを観るのは僕はほとんど初めてだった。
新たなことに挑み、完璧にやりきり、楽しかった!と興奮してみせるFukaseの表情はとてもイノセントで、なんだか涙腺を刺激するものがあった。

JAPANは初日に密着して表紙を作らせてもらったが、すべてを終えた4人にあらためて話を聞かせてもらえたらと思う。
奇跡のツアー、と最初観た時に感じた印象は日を追うたびに強くなっていった。
とても貴重なツアーだった。
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