【JAPAN最新号】SEKAI NO OWARI、夢と革命に生きた4人の10年――そのすべてを語る

【JAPAN最新号】SEKAI NO OWARI、夢と革命に生きた4人の10年――そのすべてを語る

革命をしたいという旗を立てるということは、今、革命ができていないってことになる。もし「世界の始まり」という名前だったとしたら、僕らは絶望の中にいるってことになってた(Fukase)

現在発売中の『ROCKIN'ON JAPAN』6月号にSEKAI NO OWARIが登場!
セカオワの10年、夢と革命の10年――50ページで振り返る、4人の10年、そのすべて

インタビュー=小栁大輔 撮影=オノツトム


2020年2月10日、SEKAI NO OWARIがデビュー10年を迎えた。
今、彼らは、11年目の旅の真っ最中にいる。

セカオワの10年とはなんだったのだろう。
セカオワはなぜ、この混沌とした2010年代の日本に生まれてきたのだろう。たとえば、それこそ神のような、巨大な存在が存在しているのだとして。「彼」がこの4人に与えた使命は、一体なんだったのだろう。
セカオワの10年を振り返ろうと決めた時、僕はどうしても、そんな大仰な問いから始めたいと思った。

セカオワが歌ってきたこと――。
それは、目をそらすことなく死と生を思うこと。生きることと死ぬことを、何気ない瞬間のなかで思い続けること。自分が生きるこの世界はまっすぐな愛でできていて、同時に同じくらい深い憎しみでできているということ。「普通の日々」は僕らの未来を蝕み続けるということ。僕たちは時々頭がおかしくなる日々を生きているということ。しかし、そんな日々を続けていくことこそが生きることなのだということ。そんな日々を生きていくことは素晴らしいことなんだということ。僕たちが「変える」ことができるのは、世界でも他の誰でもなく、他ならぬ「自分」だけであるということ。そして、自分を「変えたい」「変わりたい」と願いながら灰色の日々を生きていくことこそが、ちゃんと死んでいくことなのだということ――。

彼らはずっと、そういうことを歌ってきた。デビューからの10年間はもちろん、デビューにこぎつけるまでの苦しい日々も、4人が出会ってから幼馴染として過ごしてきた淡い季節も、ずっと「そのこと」だけを歌ってきた。
そこで思う。そんなバンドが他にいただろうか?
「死」と「生」こそが、「日々」であり、「僕」であり、その日々をこそ、「ファンタジー」と「夢」で塗り替えるんだ、それこそが「魔法」であり、懸命に「生きる」ということであり、それこそがやがてちゃんと「死んで」いくということなんだ――。そんなふうに、日々をまるごと受け止め、歌い続けてきたバンドが他にいただろうか。少なくとも僕には、セカオワ以外に思い当たらない。

これは、4人の歩み――というか、4人の生き方をそのまま振り返ってもらったとても長いインタビューである。それぞれに半生を振り返ってもらったことはあるが、「セカオワ」としてここまで長い物語を語ってもらったのは、JAPANでも初めてのことだ。
このテキストからは、彼らはなぜ4人だけで生きてこなくてはならなかったのか、その生き方の何が革命で、そしてそこにはいかなる夢が存在していたのか、セカオワはなぜ、「世界の終わり」というバンド名でなくてはならなかったのか、そして彼らは何を成し遂げ、これから何を歌い続けていくのか、そんなすべてのことが語られている。

ドラムとベースがなく、DJとピアノが存在する不思議なバンド、SEKAI NO OWARI。そんな彼らが生きてきた10年――。死と生を平等に歌い、僕たちの日々を鮮やかに塗り替えてきた彼らの歩みはそのまま、ポップミュージックに託された可能性そのものであり、その革命は「4人」で生き続けたいという(とても愛しくて儚い)「夢」から生まれてきたものなのだ。
その事実を思うたびには僕はどこか、今目の前で起こっている奇跡の光景を眺めているような、それこそまばゆいファンタジーのど真ん中にいるような気がして仕方ない。そして、その日々はこれまでも、これからもきっと、この4人が4人で生きている限り、ずっと続いていくのだ。(小栁大輔)

(『ROCKIN'ON JAPAN』2020年6月号より抜粋)

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