ザ・ビートルズをハンブルグに連れて行った最初のマネジャー、アラン・ウィリアムスが他界


ザ・ビートルズの初代マネジャーを務めていたアラン・ウィリアムスが12月30日に亡くなった。86歳だった。

リバプールでThe Jacaranda Clubのオーナーだったアランは、若きジョン・レノンとポール・マッカトニーを発見、後にバンドをドイツのハンブルグまで連れていき、バンドにとって初となる国外での公演を実現させた。ザ・ビートルズにとっては、レジデンツ・バンドとして、音楽的にもパフォーマー的にも数多の貴重な体験を積み重ねることになった1960年夏の「ハンブルグ時代」は、バンドを飛躍的に成長させた貴重なフェーズとして、記録されている。

アラン・ウィリアムスとバンドは、数年活動をともにしたが、金銭問題で袂を分かつことになった。ハンブルグでの長期公演で、アランはバンドから報酬の15%をマネジメント料として受け取る契約を結んでいたが、そのうちの9ポンド(当時のレートで9000円ほどだったという)をバンドが滞納。そのことを不満としたアランはバンドと別れる決心をする。

当時の判断について、後のインタビューでアラン・ウィリアムスは、当時のリバプールにはザ・ビートルズと同じくらいいいか、それ以上のバンドが300くらい活動していたんだと述懐している。

その後、ブライアン・エプスタインとマネジメント契約をしたザ・ビートルズは、世界的成功を収めることになるのだが、そのことについては、バンドが女王列席のロイヤル・コンサートで演奏している様子を放送しているテレビを観たときは、テレビに向かってソファーのクッションを投げつけるしかなかったと語っている。

アラン・ウィリアムスが書いた自伝のタイトルは『The Man Who Gave The Beatles Away』、ビートルズを手放した男である。