さよなら オアシス

さよなら オアシス

ようやくリアムの発言がでた。
抜粋記事なのでなんとも言えないところもあるが、
リアムの口ぶりから察するに、どうやら彼はオアシスをこれからも続けられると思っていたフシがある。
いつもの口調と言ってしまえばそれまでだけど、「もう終わりだ」という吐き捨てたようなコメントには、
彼がいまのいままで「ノエルがいなくても、自分がいればオアシスなんだ。だから続けることはできるんだ」といった思いが感じられた。

けれど、ノエルの2回目の声明が出た時点で、ほとんどのファンはわかっていたはずである。
ああ、オアシスは本当に終わったんだなと、もうあのオアシスはこの世からなくなったんだなと、そう思ったはずである。
そう思ってなかったのは、リアムだけだった。

僕はそもそも「オアシス」を名乗ることのできる権利を誰が持っているか、
そのことは少なからず重要なことだと思っていた。
そしてそれはたぶん、ノエルとリアムが持っているに違いないと思っていた。
昨年実現したツェッペリンの復活劇以降、ワールド・ツアーに向けて
ジミー・ペイジがなぜあれほどロバート・プラントの「参加」を望んでいたのかは、
そういうことだったんじゃないだろうか。
というか、ツェッペリンのあの音をふたたびバンドとして鳴らせられれば、
極論、とっとと若くて優れたボーカリストを従えツアーをやってもよかったのだ。
でも、ジミー・ペイジはそうしなかった。
それはたぶん、「レッド・ツェッペリン」を名乗る権利の保有者のひとりに、
ロバート・プラントがいたからではないかと、そう思っている。
そしてもちろん、「レッド・ツェッペリン」を冠にするツアーと、そうでないのとでは、
会場のスケールはひとまわりは違ってくるだろう。

さて、あのリアムがそんなことを踏まえていたのかどうかは知らない。
逆に彼なら、あれだけ怒らせた兄がバンド名の使用権をあっさり認めてくれるとすらどこかで思っていたのかもしれない。
しかし、そういったことは実はどうでもいいことである。
とうの昔に、ノエルは自分の道を歩み始めることと、
自分も(たとえ「オアシス」の残党たちと組んでいこうとも)自分の道を歩み始めていかなければならないことは、決まっていたのだ。

そして、もはや痛恨としか言いようがないが、
リアムが本当にわかっていなかったのは、「オアシス」が自分のものでも兄貴のものでない、ということだった。
「オアシス」は、僕のものなのだ。そしてもちろん、あなたのものなのだ。
それは、あの晩、砕け散ってしまったのだ。
リアムひとりがどう足掻こうがどうにもならない「現実」に、時は進んでしまっていたのだ。

こういう晩だからあえて言ってしまおう。
究極の思い出バンド、オアシスは、本当に今夜、「ロックンロール・スター」になった。
僕だけのものになった。
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