Fleet FoxesニューAL『Helplessness Blues』は大いなる「無力感」の肯定だった

Fleet FoxesニューAL『Helplessness Blues』は大いなる「無力感」の肯定だった

Fleet Foxes『Helplessness Blues』を聴いた。結論から言ってしまえばこのアルバムは、2011年、大いなる無力感が漂うこの時代に、若き世代によって鳴らされた、その無力感そのものの大いなる肯定だった。

ここには、わずか3年前、アコースティック・ギターとコーラスによる素朴なスタイルがそれだけで強烈なアンチテーゼであることによってわれわれをのけぞらせたファースト・アルバムの姿はなかった。サウンドのエレメンツは万華鏡にきらめく光のように無数となり、音のレイヤーは幾重にも折り重なり、曲そのもののドラマ性もダイナミックな移動を繰り返す、どの曲もビッグ・ソングとして屹立するアルバムへと飛翔していた。

それは、冒頭でロビン・ペックノールドが歌い始めるように、「気が付けば僕も、父や母が子供を持つようになった年よりも年上になった」という、自然な成長が促した結果ではあるだろう。彼らは、若い。それゆえに、この3年の月日は、若い誰もがそうであるように、怖ろしいまでの成長を駆け上がる季節でもあっただろう。そしてそのことが、旺盛な音楽欲として、このセカンドにあふれかえるような音の宇宙をもたらしたこともわかる。

しかし、重要なのは、ではそんな彼らは何処に行ったのか、ということだ。

シアトルのロビン・ペックノールドのことを考えるとき、思い出すのは、同じようにシアトルで若き半生を生きていたカート・コバーンのことだ。少年時代のリビング・ルームには罵りあう両親がいて、逃れるように見た窓の外には、無力な白人にNOを言い渡す世界が広がるような、そんな風景を生きていたカートのことだ。

カートにとってだから世界は、わかればわかるほど、「How Low」なものだった。明日とは、つまり、絶望の宣告ということだった。そしてだからカートは、明日を閉じてしまった。明日を生きることはこの辛い今日よりもさらに苦痛が上書きされる今日でしかなかったからだ。

ほんの小学生のときに、2機の飛行機が巨大なタワービルに突っ込んでいく光景を見たロビン・ペックノールドは、ではどうだったか。世界は、気づくよりも前に、あらかじめそのような絶望としてあっただろう。少しずつ年を重ねていくたびに、ソーシャル・ネットワークで知り合った友達がはるか彼方で兵士として命を失っていく様を動画サイトで検索できるような世界を、ロビンはどう見ていたか。世界は、それに慄くより前に、あらかじめそのような絶望としてあっただろう。

この2011年を生きる若き世代は、絶望を知ることはなかった。それは、すでに世界そのものだったのである。世界は、あらかじめ無力感の支配する風景として、そこにあったのである。

カート・コバーンは、絶望しかやってこない世界に、怒りをぶちまけていた。あらんかぎりの轟音でその怒りを、死にたくなるような静けさでその悲しみを鳴らしていた。『Helplessness Blues』は違っている。大いなる音楽で、この無力感覆う世界での生を鳴らしてしまおうとしているのである。

もちろん、だからそこには、Arcade Fireの紡ぐような「誰もが繰り返すことのできる物語」はない。というか、もっと言ってしまえば、希望が見つけられる、そんな世界にはもう彼らは生きていないのだ。『Helplessness Blues』は、絶望の向こうに希望を見出すアルバムではない。しかし、かといって、絶望そのものを絶望そのものとして撒き散らすアルバムでもない。

世界が壊れているからその代わりに美しいメロディを紡ぐのではなく、そんな壊れた世界を丸ごと美しいといってしまうメロディを紡ぐこと。世界が殺伐としているからその代わりに豊かなサウンドを築き上げるのではなく、そんな無機的な世界をそのままオーガニックで眩しいものにするサウンドを築き上げること。『Helplessness Blues』は、そんなふうに音楽の力を無限大に行使しながら突き進む。

アルバムの最終盤、狂ったようなサックスがそれまでの音楽を舞い上げてしまった後(「The Shrine/An Aurgument」)、静寂の中、ロビン・ペックノールドは疑問符だけの歌を歌う(「Blue Spotted Tail」)。「いつか死ぬだけなのになぜ人は生まれてくる?」。そんな素朴で根源的な問いに、ロビン・ペックノールドは「まだいる」。そして、その歌を歌い終えた後、高らかに鳴るのが最終曲「Grown Ocean」である。そして歌うのである。「僕はいつか目覚める」――。

これは、希望ではない。しかし、絶望でもない。無力感の覆うこの世界に、無力感しか見たことのない世代によって歌われた、大いなるその肯定である。それが『Helplessness Blues』と名づけられた、つまり、「無力感のブルース」と名づけられた本作のすべてである。凄まじいことである。
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