今日(9月6日)まで店頭にあるプリンス表紙のロッキング・オン9月号に、アミール・”クエストラブ”・トンプソンの初監督作『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』の記者会見のレポートが掲載されています。
https://rockinon.com/blog/rockinon/199817
このフェス、「ハーレム・カルチャラル・フェスティバル」は、1969年に数週間にわたりNYハーレムのマウント・モリス公園で開催され、なんと30万人もの観客が集まった。放送用に映像も音声も収録されていたのに、同じ年に「ウッドストック」があっため、誰も興味を示してくれず、これまでその映像は倉庫に眠っていた。しかも、間もなく破棄される寸前だったのだ。それが50年の時を経て今年無事公開された。
こちら映画予告編。
日本の上映劇場一覧。
https://searchlightpictures.jp/movie/summerofsoul/theater.html
この映画を観るにあたって重要なポイントがいくつかある。
1。なぜ開催されたのか?
もともとは、前年68年にマーティン・ルーサー・キングが暗殺されたために行われたフェスだった。これは、ロッキング・オンの記事にも掲載したけど、クエストラブ曰く「街に緊迫感があり安全性の懸念や市民の不安があった。つまり暴動を防ぐためと、黒人を安全な場所に集めることが目的」で行われたのだ。
それで、ちょっと話は逸れるけど、驚いたのは、実はジミ・ヘドリックスが自ら出たいと言ったのに、ラジカルすぎると言って断られていること。しかし、ジミヘンは、それに不服だったのか、なんとフェスが終わったくらいの時間からハーレムのクラブで、アルバート・キングとブルースのライブをしていたそう。よほど出たかったんだろう。何しろ、「ウッドストック」とは違って、黒人アーティストによる黒人の観客のためのフェスだったわけだから。
2。それが約50年後のアメリカで起きたジョージ・フロイドの事件と重なるということ。
黒人が警察に殺され、その後プロテストが全米で行われたが、各都市で警察と市民の間での緊迫が高まった。つまり、50年経っても、時代がどれだけ変わっていないのかの象徴であり、しかしだから今公開される最高のタイミングでもあったということ。
3。メンツが超豪華で、ライブがどれも最高であること。
4。それなのに「ウッドストック」があったため、どのメディアも見向きもしてくれなかったこと。
つまり、黒人の優れたカルチャーが、いかにメディアなどの操作によって「消去」され、なかったものとされているのかということ。「ウッドストック」が時代を代表するイベントとして語り継がれ、どれだけの影響を与えたかと思うと、なおさら考えさせられる。
今作は、今年のサンダンス映画祭で初上映され、ドキュメンタリー映画部門の審査員賞と、観客賞という、大賞を2つも受賞している。その後も、批評家からほぼ満点で大絶賛されている。私は、初上映されたサンダンス映画祭で観て、その時とその後に行われた記者会見に数回出席し、フィフス・ディメンションにはバーチャル対面取材している。
ここでは、ロッキング・オンの記事で紹介できなかった部分を番外編としてご紹介。
●映像を発掘したきっかけ。
Robert Fyvolent(プロデューサー)
「このプロジェクトは12年前に始まったんだ。友達からこの映像のことを聞き、観た瞬間にぶっ飛んだんだ。映像は、コンサートのプロデューサーの1人でもあり、ビデオグラファーでもあったVal Tulchin(2017年に亡くなる)の倉庫に保管されていた。彼は、当時『ブラック・ウッドストック』と言って、この作品を売り込んだけど、誰も興味を示してくれなかった。
それで、僕は人からこの映像のことを聞いて、開催から50周年記念に公開したいと思って彼に連絡を取ったんだ。なかなか監督が決まらなかったけど、でもクエストラブにお願いできて、結果的には、完璧なタイミングで、完璧な人に巡り合えたと思う。今必要な作品だと思うしね。この作品には、音楽の喜びが溢れていて、政治的な側面もあり、二面性があると思うんだ」
●監督したことのないクエストラブにお願いした理由。
Robert
「彼は、アーティストとして、作家として、ミュージシャンとして最高の人だ。この映画に必要な言語を話せる人だと思ったし、彼なら出演した様々なパフォーマーたちを全て理解してくれると思った。しかも彼は物語の語り手としても、素晴らしいセンスがある。確かに映画監督の経験はないけど、彼が完璧だと思った」
●お願いされたクエストラブの反応。
クエストラブ
「なんで僕のところに話を持ってきたんだ、って思った。映画監督の経験はゼロだからね。なんで僕に監督して欲しいんだ、ってね(笑)。もちろん僕のエゴはやりたいと言っているけど、歴史初と言えるようなイベントなのに、なんで僕を信頼するんだってね。
ただ、その反面、僕はデートで映画を観たりすると、一緒に行った人に、『こんなこと本当は起きなかった』とか、『この音楽の挿入は間違ってる』とかいうタイプの奴で、映画監督が嫌うタイプの人間なんだ(笑)。『あれが起きたのは、本当は1962年だよ』とかね。だけど、プロデューサーに説得されて、8ヶ月後には、これが僕の運命だと思った。映像を見た瞬間に電撃が走ったんだ。この物語を語らなくちゃいけない、って。そうやって始まったんだ」
●映像があるのを知っていたか?
フィフス・ディメンションのビリー・デイヴィスJr.
フィフス・ディメンションのマリリン・マックー「こんな貴重な映像が、こんなに長い間保管されてるなんて知りもしなかった。だからそれを聞いた時、自分たちもそれに関われてものすごくスリリングだった。それにあまりもにたくさんのアーティストが参加してる。スティーヴィー・ワンダーから、ザ・チェンバーズ・ブラザーズから、エドウィン・ホーキンスまで出ている。だから最高だと思った。歴史的に埋もれていたものを救い出してくれて、安全な場所に保管してくれたことを感謝している」
クエストラブ「あのコンサートは、すごく特別だった。観客のエネルギーと興奮と、あんなにたくさんの人たちが音楽を聴くために集まってくれたこともね。フィフィス・ディメンションが誰なのか知らない人たちもたくさんいた。そういう場所で私たちの音楽を分かち合う機会を得た。自分たちと同じ人たち(黒人)とね。
それまでも色々な場所で演奏していたけど、でもチケットが高くて私たちのショーに来られなかった人たちが多かった。だからあの場にいた人たちは私たちが誰なのか知らなかった。でも、だからこそ私たちにとってはチャンスだった。私たちがどんなバンドなのかをみんなに見せたいと思った。あまりに特別な場だったし、今になって、こんな美しくフェスが実現できたのを観られて本当に幸せだった」
「彼らは、お財布を失くしたのがきっかけで、グラミー賞を獲ることになったわけだよね。とんでもない話を披露してくれた。だから、あの場面だけは、絶対にカットしないようにしたんだ」
●何時間分の映像があったのか?
クエストラブ
「カメラ4台で撮影された45時間以上の映像があった。有り余るほどの財産を手にした気持ちだった」
●50年眠っていたことについて。
クエストラブ
「これって、今ならコーチェラが2回、ニューヨークのど真ん中のハーレムでただで行われていたようなフェスだった。それを誰も覚えていなくて、誰も語ろうとしなかったなんて信じられない。その時フィフス・ディメンションは、シングルでチャートの1位を獲得していたのにね。つまり、最も人気のあるアーティストと伝説のアーティストが、何世代にもわたって出演していた。マヘリア・ジャクソンとメイヴィス・ステイプルスが同じステージ立って、初めてマイクをシェアした瞬間だったんだよ!その衝撃が50年も忘れられていたなんてね。
しかもスライ・ストーンはほとんどそれと同じセットをウッドストックでパフォーマンスしている。実はこのフェスティバルのオリジナルのメンツには、スライ・ストーンは入っていなかったんだ。面白いよね。つまり彼らはただ登場してライブをして、その勢いでウッドストックに行ったというわけだ」
●クエストラブが個人的にお気に入りのパフォーマンス。
「甲乙つけがたいけど、敢えて選ぶならB.B.キング」
出演:
スティーヴィー・ワンダー
B.B.キング
フィフス・ディメンション
ステイプル・シンガーズ
マヘリア・ジャクソン
ハービー・マン
デイヴィッド・ラフィン
グラディス・ナイト&ザ・ピップス
スライ&ザ・ファミリー・ストーン
モンゴ・サンタマリア
ソニー・シャーロック
アビー・リンカーン
マックス・ローチ
ヒュー・マセケラ
ニーナ・シモンほか
ぜひ劇場のスピーカーで音を浴びて観てください。
ロッキング・オンの記事もぜひ!
映画『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放送されなかった時)』の記事は、現在発売中の『ロッキング・オン』9月号に掲載中です。ご購入はお近くの書店または以下のリンク先より。