ベネチア映画祭で待望のレッド・ツェッペリン初ドキュメンタリー映画公開。ジミー・ペイジが、これまで作らなかったのは「悲惨な」アイディアしかなかったからと語る。チャーリー・ワッツが亡くなった後も続くストーンズとツェッペリンの違いも語る。

ベネチア映画祭で待望のレッド・ツェッペリン初ドキュメンタリー映画公開。ジミー・ペイジが、これまで作らなかったのは「悲惨な」アイディアしかなかったからと語る。チャーリー・ワッツが亡くなった後も続くストーンズとツェッペリンの違いも語る。 - pic by DICK BARNATT / REDFERNS LONDON DECEMBER, 1968 / GETTY IMAGESpic by DICK BARNATT / REDFERNS LONDON DECEMBER, 1968 / GETTY IMAGES

現在開催されているベネチア映画祭で、レッド・ツェッペリン初の公式ドキュメンタリー映画『Becoming Led Zeppelin』が公開された。
予告編はこちら。

これまでバンド公認の映画は、『The Song Remains the Same』(1976年)があったが、これはよりコンサート映画だったため、それ以外のドキュメンタリーとなるとこれが初となる。それで注目度も高かったのだが、これまでバンドのドキュメンタリー映画を作りたいというオファーがあったにも関わらず、作らなかった理由について記者会見でジミー・ペイジが訊かれ、あっさりと「どれもすごく悲惨なものばかりだったからだ。本当に悲惨だった」と答えていた。「それにどれも音楽以外のことばかりを描こうとしていた。だから、すぐに後ずさりしたくなった」。

Variety誌が報じたところによると、プレス用向けと一般向けの試写は計12回あったそうだが、チケットは完売で、フェス全体の中でも最も人気が高かった映画だったということ。

私は映画はまだ観れてないけど、いくつかレビューを読むと、タイトルが『レッド・ツェッペリンになること』という意味でもあるように、4人のメンバーのバンド結成以前から始まり、バンドが結成され、セカンド・アルバム『レッド・ツェッペリンII』までを追った内容。

3人のメンバーの現在のインタビュー映像と1年かけて追跡し発掘した亡くなったジョン・ボーナムのインタビュー音声も収録されている。ツェッペリンはあまり映像が残されていないため、世界中で音声や映像を追跡し、最高のクオリティで完成できるよう努力したようだ。

記者会見には、ジミー・ペイジと監督のBernard MacMahon、共同脚本、プロデュースをしたAlison McGourtyが登場。記者会見は誰でも見られるように配信された。今でもその映像は見られる。
この53分あたりから始まる。

以下話していること要約。

●これまで映画がなかったバンドからどのように制作許可がもらえたのか?
監督

「Alisontと僕で映画の脚本を作り、もともとバンドの大ファンではあったけど徹底的にリサーチも行い、ストーリーボード(絵や画像を使った草稿)を作った」

Alison McGourty

「バーナードがバンドの歴史のリサーチをたくさん行い、そこから脚本を書いて、私達が作りたい映画の始まりから終わりまでを美しいストーリーボードにした。それを革製の装丁の本にして、ジミーに見せて説明した。その時に彼に初めて会って見せたものが、そのまま今完成した映画となった」

監督

「ジミーとは2017年冬に会ったんですよね」

ジミー・ペイジ

「そうだね。その時会ったんだ。初めて会った時は、お互いナーバスだったけど、ストーリーボードがあまりに正確にできてきた。僕らが何なのかを本当に分かってると思えた。だからこの映画が完成するのが待ちきれなかった。自分にとっても最高の経験となったし、本当にストーリーボード通りの映画が出来上がった」


●これまでにも映画を制作したいという話はあったのですよね?
ペイジ

「あったけど、全部すごく悲惨なものばかりだった。本当に悲惨で、音楽以外のことだけを語ろうとしていた。だからすぐに後ずさりしてしまったんだ。だけどこの映画は、全てが音楽についてだった」


●ドキュメンタリー映画を脚本から始めるというのは普通ではないですよね?
McGourty

「ドキュメタリーを作るというよりも、長編映画を作る気持ちで作っていた。次はこれを長編映画にしたいと思っている」

監督

「僕はこの映画をミュージカルだと思っていて、間に会話もあるけど、でも音楽自体が物語を語っていると思う。そうやってレッド・ツェッペリンの音楽が何なのか、どう感じるのかを理解するための作品にしようとした。またどんな影響を受けてできたバンドだったのかなど。それを観て、彼らがなぜああいうインパクトを与えることになったのが分かるようにしたかった」

ペイジ

「メンバー4人は、みんなミュージシャンだったわけだけど、でもその4人がそこに集まったのは、惑星が一列に並んだみたいなものだった。映画を観ると、それ以前は、みんな別々のキャリアを持ち、別々のアプローチの仕方をしていたことが分かる。でも、いざ4人が一緒になった時に、そこで爆発が起きたわけだ。しかもそれが止まることがなかった。

その爆発の勢いは、ツアー中も、レコーディング中も、続いた。その証拠に、ファースト・アルバムが1970年1月に出て、セカンド・アルバムも1970年に出た。1時間に100万マイルの勢いで走っていたようなものだった。それがこの映画では捉えられている」


●レッド・ツェッペリンの今日のレガシーについて
ペイジ

「レッド・ツェッペリンの全作品というのは、ミュージシャンにとっての素晴らしい教科書だと思う。そうだと信じているし、実際そうだと思えるから嬉しい」


●レッド・ツェッペリンの大ファンで、レッド・ツェッぺリンについて全てを知っていて、全てのギター・リフを練習してきた人たちにとって、このドキュメンタリーでレッド・ツェッペリンに関してどんな新しいことが学べますか?
ペイジ

「何もかもだよ。約束する。レッド・ツェッペリンがどんなバンドなのかを本当に理解していてくれる人たちは、その音楽が一体どうやってできたのか分かるから、絶対に観ていて楽しいと思う。すでに何なのかを分かっている人たちにとっては、それが本当に何だったのかが分かるわけだからね」


●アルバムという形態がストリーミング文化の中でも残っていけると思うか?
ペイジ

「レッド・ツェッペリン前後のバンドは、アルバム全体を通してひとつの作品として考えていた。アルバムは、その時の自分たちを総括するものであり、その時の自分たちのいる場所を記すステイトメントだった。それに、アメリカにはアンダーグラウンド・ラジオ局があって、そこではシングルをかけないというのも知っていたんだ。だけど、例えば、ザ・ローリング・ストーンズは、アルバムに収録されたシングルを発表し続けていた。シングルはすごく大事なマーケットだったからね。

ただその問題点は、アルバムでは、ある曲があり、それが次の曲に繋がっていくという構成で成立しているわけだから、例えば、サード・アルバムを出した時に、”Whole Lotta Love”がないじゃないか?と言われたくない。つまり、シングルを出さなくちゃいけないということに縛られたくなかった。僕らにとってやるべことは、アルバムを提示するということだったわけだから。しかも最高の質のものをね」


●チャーリー・ワッツが亡くなりましたが、ストーンズは、あなた達がジョン・ボーナムが亡くなった時のように解散していません。その違いは何だと思いますか?
ペイジ

「それは僕らが全く違うコンセプトのバンドだったからだと思うよ。まず言っておきたいのは、僕はストーンズが大好きだということ。それからチャーリーの演奏も大好きだった。彼がいかにビル・ワイマンとキース(・リチャーズ)をガッチリと一体化させたのかということ。あのグルーブは特別だったからね。だけどレッド・ツェッペリンとその他の多くのバンドとの違いは、レッド・ツェッペリンはステージに上がったら、セットの最後の最後まで即興だったということ。

だから、僕らがバンドを始めた1968年から、ジョン・ボーナムを失ってしまう時まで、僕らはたくさんのコンサートをやったけど、そこで多くの即興が演奏された。その日リフがどこからともなく生まれては消えていった。だけどジョンを失った時に、誰かを代わりに入れるというのは、絶対に考えられなかった。その人に、どうやって即興すればいいのか教えられると思う? できないよね。だから僕らにとってはすごく簡単な決断だったんだ」


●あなたが着ていた衣装がいつも素敵でしたが。
ペイジ

「(笑)僕が自分でデザインしていたんだ。自分に自信がつくと、個性も強くなった。それをステージで着る衣装に反映していたつもりだ。オフステージで着ているものもね。だから僕が自分で作ったものもあったし、または古着屋で見つけたものもあった(笑)」


●ジョン・ボーナムの声が入ったテープを見つけるのはどれくらい難しかったのですか?
監督

「すごく大変だった。僕らがこのプロジェクトを開始した時に、ほとんどの人たちは、ジョン・ボーナムが話している声を聞いたことがなかった。それでインタビューのブートレグを2、3個見つけて聞いてみたけどパブで行われたもので、グラスがぶつかり合う音とかウエイターの声が入っていて使えないものだった。

だけど、短いインタビューで、ジョンが話している声がアナログ盤に収録されているのを見つけた。それが録音されているのが分かったし、ジャーナリストはオーストラリア人ということも分かった。それで、その時代に仕事をしていたオーストラリア人のジャーナリスト全員に、この声が誰だか分かりますか?と聞いていった。ジャーナリストは名乗っていなかったからね。最終的には、誰か分かったけど、でもその人はもう亡くなっていた。

ただ幸運だったのは、オーストラリア、キャンベラにサウンドアーカイブがあって、そこに連絡して昔のラジオのアーカイブがあるかを聞いたんだ。そしたらあると言われて、見てもらったら、その中にはなかった。だけど、3万本の表記がないテープがあったから、僕らはそれを一つ一つ全部聞いて、最後には見つけたんだ。1年間かかったけどね」

ペイジ

「この映画でジョンは正に生きているんだ。もちろんその当時生きていたわけだけど、彼は色々なトピックについて語っているし、ものすごく情熱がある。彼のバンドへの愛を感じるよ」

監督

「この映画で語るのは、バンド・メンバーだけなんだ。バンド・メンバーだけが、自分たちの言葉だけで語る映画ってこれまでなかったからね」

McGourty

「実際当初ロバート(・プラント)はいったいどうやって映画ができるのか分からないと言っていた。というのも、『コンサートの撮影は許可されていなかったし、メディアのインタビューもしなかったし、どうするの? どうやって映画にするの』と。実際アーカイブを徹底的に追跡した。ファンやブートレグをする人たちのおかげで、コンサートが少しあったし、それとBernardが編み出した手法で『雨に唄えば』のような感じで、層を重ねていって、コンサートのフィーリングを再構築できた」

監督

「これまでに見たことがある映像がある場合は、それを撮影した会社に行って、倉庫に行って、テープを全部見せてもらった。それでほとんどの場合において違うカメラで撮影されていた映像があった。つまり同じ場面の未公開映像があったということ。だから全ての映像は再編集した。つまりこれまでに観たことのあるパフォーマンスがあっても、全部違うカメラで撮影した違うアングルのものになっている。それから音声は全てオリジナルを使っているし、映像も全てオリジナルを使っている」


●監督が一番好きなレッド・ツェッペリンの曲は何ですか?
監督

「難しいけど、この映画で使われているものの中で一番好きなのは、多分”Good Times Bad Times”だと思う。というのも、それが始まった時に、これまで聴いたことがないものを聴いていると分かる瞬間だから。それから”Whole Lotta Love”だと思う。あの曲をほぼ全編6分間でこの映画で描けたから」

ペイジ

「”Good Times Bad Times”はファースト・アルバムの最初の曲なわけだよね。つまり人がそのアルバムを聴くかどうか決める曲だ。それであの曲は他の人には絶対に演奏できない。あのドラム・パターンを叩けるドラマーはどんな長さでも絶対にいない。だけど、ジョン・ボーナムは30分間でも叩き続けられる。つまりあの曲が素晴らしい扉を開けてくてる」


●映画で使われて嬉しい曲。
ペイジ

「例えば”When Levee Breaks”を映画館で聴いた時は、最高だったね(*映画『アルゴ』で使われている)」

この作品の公開方法、時期などはまだ決まっていない。


ちなみに、今年はこれから日本でも、毎月、オアシスや、ピーター・ジャクソン監督のザ・ビートルズ、トッド・ヘインズ監督のヴェルヴェット・アンダーグラウンドのドキュメンタリーが公開、配信される。

●オアシス『オアシス:ネブワース1996』
(9月23日日本劇場公開)
”Live Forever (Live At Knebworth)”

予告編

●ザ・ビートルズ『ザ・ビートルズ:Get Back』
(11月25、26、27日ディズニープラスにて3話連続独占配信)

ティーザー

●ヴェルヴェット・アンダーグラウンド『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド』
(10月15日からApple TV+にて配信)

予告編



レッド・ツェッペリンの記事は、現在発売中の『ロッキング・オン』10月号に掲載中です。ご購入はお近くの書店または以下のリンク先より。

ベネチア映画祭で待望のレッド・ツェッペリン初ドキュメンタリー映画公開。ジミー・ペイジが、これまで作らなかったのは「悲惨な」アイディアしかなかったからと語る。チャーリー・ワッツが亡くなった後も続くストーンズとツェッペリンの違いも語る。

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