現在発売中のロッキング・オン10月号では、アスのインタビューを掲載!
以下、本インタビューの冒頭部分より。
●アスのライブ重視の現場主義は、いかにして育まれてきたものなんですか?
ラスムス・ルオナコスキ(B/以下、ラスムス)「最初からこんな感じで」
テオ・ヒルヴォネン(Vo/G/以下、テオ)「うん、結成直後は練習する場所もなかなか見つけられなくて、とにかくライブをやるっていうのが、一番いい練習方法だったんだ。国内のシーンが小さいから、外国でのライブもかなり早いころからやってたんだ」
ラスムス「僕らはロビン・フッドとか、ああいう冒険物語に感化されてるんだ(笑)。イギリスでやった最初のツアーの時なんて、路上で演奏してたんだから」
テオ「そう、バスキングっていうやつ。あのころはいろんな国がコロナ禍で、フィンランドもライブができなくなって。でも隣のエストニアだと、まだできたんだ。それで、エストニアまで行ったんだけど、悲しいことに、5回くらいライブをやって、固定ファンも付いてきたところで、ロックダウンに入っちゃったんだ」
パン・ヒルヴォネン(Harp/以下、パン)「そうだった(苦笑)」
テオ「で、また別の国に行ったんだけど、そこでも2、3回やったところでロックダウンになっちゃって。で、ちょうどフィンランドのロックダウンが解除になったんで、戻ったんだけど(笑)」
●(笑)追いかけっこだったんですね。デビューアルバムについて、テオは「今の僕らの瞬間を切り取ったもの」だと言っていましたね。あなたたちをその瞬間に駆り立てていたものは、どんなメンタリティだったんでしょう?
パン「あの時は、『俺たちはできる』ってみんなに見せつけたいっていう気持ちで前のめりになってたんだと思う。どれもライブでガンガンやり込んでいた曲だから。だから、これを今レコーディングしなければ!って思ってたんだよね」
テオ「『自分たちの曲がどういうふうに聴こえるのか一度聴いてみたい』っていう興味もあったね。録音したのを聴く機会って、それまではあまりなかったから。思ったより悪くなくて、安心したけどね」
レーヴィ・ヤムサ(Dr/以下、レーヴィ)「何年もかけて築き上げてきたわけだからね」
テオ「あのアルバムの曲は、ずっと前から温めていたやつもあるんだよね。たとえば “Black Sheep”とか。あれは、僕が初めて書いた曲の一つで、高校に入る前には原型があったんだ」
●ロックンロールに傾倒していた10代は、当時珍しかったのでは?
レーヴィ「当時は人気のアーティストが2人いて、一人はフィンランド語でラップするラッパー、でもう一人はフィンランド版ジャスティン・ビーバーみたいなやつ(笑)。でもそんなだったから、ロックがやりたいと思ったのかも」
●フィンランドというとメタルのイメージがあるんですけれど。
テオ「でもメタルがメジャーかっていうと、そうとも言えないんだ。フィンランドだと、路面電車やバスにラジオがついてるんだけど、そこでメタルがかかることってまずなかった。ただ、すごくデカいメタルフェスとかはあって、そういうところにはよその国からメタルファンが大挙してやってくるっていう」
ラスムス「ゴリゴリのメタルファッションの人はよく見かけるよね」
(以下、本誌記事へ続く)
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