星野源の"恋"とか米津玄師の"orion"とかback numberの『アンコール』のこととか(コラム「激刊!山崎」より)

去年の星野源のシングル”恋”は、曲や歌詞もさることながらタイトルが秀逸だったと思います。

“恋“。

これ以上にない、素晴らしいタイトルです。
タイトルを聴いただけで少し心拍数が上がって毛穴が開くような、それでいてどうしようもなくせつなくなってしまうような、たった漢字一文字のタイトルなのにMAXの効力を発揮する究極のタイトルです。
それだけに、そうはかんたんに付けれるタイトルではありません。
タイトルに負けない、タイトルの印象を超えられる何かを秘めた曲でないと、がっかりされて逆効果です。

そこはさすが星野源。完璧な楽曲と歌詞。
そしてドラマとの極上のタイアップ、しかも助演。またこれが昨年のドラマ助演男優賞(そんなものはないですが)受賞間違いなしの見事な助演っぷり。
もうあまりにも全てが完璧すぎて、年明けぐらいからちょっと嫌いになりかけたぐらいです。

ところで、”恋“ですが、完璧な楽曲と歌詞、ドラマとのタイアップというのももちろんなのですが、一番すごいなと思ったのは実はタイミングなのです。
“恋”というタイトル、これまさに今しかないとは思いませんか? あ、特に思わない? そうですか。まあそうかもしれません。
でもやっぱり一昨年でも来年でもなく、今だなと、な~んとなくですが僕は思うんですね。
映画『君の名は。』に日本中があれほど夢中になって、それを引き継ぐようにドラマ『逃げ恥』でテレビに釘付けにされて、ふたりの若い男女の行方をこんなにも日本中のみんなが見守ったことって最近なかったんじゃないかと思うんです。
ドラマでも映画でも、ここ最近の傾向はどの登場人物にでも自己投影が可能な群像ドラマが圧倒的主流だったのに、主人公ふたりに自己投影しながら行方を見守っていくしかない『君の名は。』と『逃げ恥』がいきなり超大ヒットになったのにはやっぱり何かあるんじゃないか、と。
それはつまり「恋」なんじゃないかと。
一昨年よりも来年よりも、やはり今は恋なのではないかと。今こそが恋なのではないかと。
そこをスパッと言い当ててくる星野源はすごいなあと。
恋のブーム、僕はまだしばらく続くと思います。
チャットやSNSで複数の人を相手に自分の気持ちを相対化し続けるゲームに、つまりネットの中で群像劇を演じることに、もう僕たちは飽きたんだと思います。
 

back numberのベスト・アルバム『アンコール』が35万枚のセールスを超えました。
このアルバムはback numberのメンバーにとってはデビューしてからの汗と涙の結晶であり、ファンにとっては思い出のクロニクルであり、ファン以外に人たちにとっては絶好の入門プレイリストであります。
だからこんなにも売れているのですが、先ほどの僕の説をもとに位置づければ、このアルバムは「恋の時代」の到来を鳴らした、まさに今求められている「時代のポップス」なのだと思います。
しかも今月号の清水依与吏のインタビューを読んでもらえばわかる通り、彼にとって恋愛とは生きる感覚・生きるダイナミズムそのものであり、それを歌うことは彼にとってのロックそのものだから、まったくブレがない。
思えばロックバンドのアルバムでここまで「恋愛」濃度の高いアルバムって、ミスチルまで遡ってもあまり見当たらないです。
このアルバムが今、街中で流れているのはやはり必然なのだと思います。
だからこそ、次はその「必然」すら超えてその先へと進もうと清水依与吏は燃えているのだと思います。
 

米津玄師も今月号のインタヴューで「恋愛」について発言しています。
『3月のライオン』のタイアップ曲を書く時にテーマとして「恋愛」が頭に浮かんだ、と言っています。
『3月のライオン』は(連載中の現時点では)そんなに「ラブ・ストーリー」というわけではないし、そもそも米津玄師が「恋愛の歌を書こうと思った」というのはかなり珍しいことです。
でも、羽海野チカが感情をインクに繊細さをペンにして描いたような、そんな光に溢れた『3月のライオン』の世界───どんなに深く沈んでもそこに届く声は必ずあって、どんなに小さな喜びも共有してくれる人が必ずいる───そんな世界に「恋愛」を感じた米津の感性もまたとんでもない鋭さを持っていると、僕は思うのです。

(『ROCKIN'ON JAPAN』最新号  総編集長コラム「激刊! 山崎」より転載)
山崎洋一郎の「総編集長日記」の最新記事
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