エルトン・ジョンの「決定版」ドキュメンタリー映画がディズニープラス で配信中。ジョン・レノンの“ラスト”ライブなどについても語る

エルトン・ジョンの「決定版」ドキュメンタリー映画がディズニープラス で配信中。ジョン・レノンの“ラスト”ライブなどについても語る - Sam EmersonSam Emerson

12月にディズニープラスで配信が開始したエルトン・ジョンの「決定版」ドキュメンタリー映画『エルトン・ジョン:Never Too Late』。

すでに観た方も多いかもしれないが、トロント映画祭で世界初上映され、NY映画祭でも上映されて、本人も登場した。両方の映画祭に行ったのでその時語っていたことなどを簡単に紹介したい。NY映画祭では、涙ながらに語る場面があり、NY映画祭ではパフォーマンスまで披露した。

エルトン・ジョンの「決定版」ドキュメンタリー映画がディズニープラス で配信中。ジョン・レノンの“ラスト”ライブなどについても語る - TIFF Red Carpet © Disney, All Rights ReservedTIFF Red Carpet © Disney, All Rights Reserved

10月1日に行われたNY映画祭の上映では、“Tiny Dancer”をパフォーマンスした。

エルトン・ジョンの「決定版」ドキュメンタリー映画がディズニープラス で配信中。ジョン・レノンの“ラスト”ライブなどについても語る - Film at Lincoln Center/Julie CunnahFilm at Lincoln Center/Julie Cunnah

映像はこちら。

以下映画祭で語っていたことのまとめ。

1.タイトルの意味:
トロント映画祭で世界初上映した際は、タイトルとなった『Never Too Late』(=遅すぎることはない)の意味について語った。「人生を変えるのに遅すぎることはない。より良い人生を送るのに遅すぎることはない、という意味だ」と語っていた。

2.映画の一番好きなところ:

エルトン・ジョンの「決定版」ドキュメンタリー映画がディズニープラス で配信中。ジョン・レノンの“ラスト”ライブなどについても語る - This MachineThis Machine

トロント映画祭では、この映画の一番好きなところについて語り、思わず涙を流していた。
「今映画でも観てもらったように、私は最高の人生を送ってきた。人生で大事だったのは常に音楽だった。良い時も悪い時も。音楽のおかげで乗り切ってきた。どん底の時でも、音楽を作り、レコーディングしてきた。だから人生を通してインスピレーションとなってくれた音楽に心から感謝している。

だけど、最初の5年間にどんどん人気を獲得していった際に、それは素晴らしいことだったのだけど、自分には人間としての基盤がなかった。音楽と、成功と、人気と、それから映画で観てもらった通り、空虚さがあった。しかも、自分に嘘を付いてきたから(*ゲイとして公言していなかったこと)、それができた時(1976年)に、ようやく真実が語れたと思った。

それから、1990年代に酒、ドラッグをやめて、自分の人生に足りないものが何なのか分かった。謙虚さや感謝の気持ち、信念、そして人間としての基盤だ。だから、この映画の一番好きなところは、私には彼(パートナーでこの映画の監督でもあるデイビッド・ファーニッシュ)がいて、息子が2人いるところ(涙)。それを達成できて本当に誇りに思ってるんだ。本当の幸せを手にしたから。

だから、ツアーを止めると決めたんだ。私は今77歳で、これからもレコードは作るし、音楽はやり続ける。でも、人生で一番大事なのは、デイビッドと息子2人なんだ。見つけるのにすごく長い時間が掛かったけど、ユートピアを見つけたんだ。彼らが私の人生を救ってくれた。だから、墓石には、何百万枚のアルバムを売ったとか彫って欲しくない。『偉大なる父であり夫だった』だけ書いて欲しいんだ。それだけ。

それから、ファンの皆さんには、感謝してもし尽くせない。皆さんのおかげで私がいるから。映画を観て改めて感謝したのは、私をお金を払って観に来てくれたファンの皆さんがいたこと。ファンの皆さんのおかげで私が成功できた。古い映像を観て、本当に元気をもらえた。演奏も素晴らしかったし、私自身も楽しんでいた。ただ、名声というのはすごく危険なものだ。名声を得て正直な自分であれなかったら、本当に本当に大きな問題になる。私のように」

エルトン・ジョンの「決定版」ドキュメンタリー映画がディズニープラス で配信中。ジョン・レノンの“ラスト”ライブなどについても語る - Ron PownallRon Pownall

3.現在目が見えないことについて。
9月に行われたトロント映画祭で、7月に南仏に行き、酷い感染症になって右目が見えなくなったと語っていた。その時は、ゆっくりだが治療を続けると言っていたけど、12月には引き続き視界が限られていて、自分が手掛けたミュージカル『The Devil Wears Prada』が見えないと語っていた。

ただ、12月にアメリカのTV番組に出演した際は、思ったより元気にインタビューに答えていたのでホッとした。

4.映画のあらすじについて:

エルトン・ジョンの「決定版」ドキュメンタリー映画がディズニープラス で配信中。ジョン・レノンの“ラスト”ライブなどについても語る - Sam EmersonSam Emerson

「映画には、キャリア最初の5年、70-75年に人気が上がり続けるところが描かれている。そして、1975年に初めてドジャー・スタジアムでキャリア最高の成功を収めるところ。

それから47年後に再びドジャー・スタジアムで演奏するところが描かれている。そこには、家族がいて、子供がいる。自分の人生が本当に大好きになれたんだ」

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「自分の曲はあまり聴き直したりしないけど、今回映画を観て、音楽的には72〜75年は最高の音を鳴らしていると思えた」

5.事実上ジョン・レノン最後のライブで同じステージに立ったことについて(1974年11月28日マディソン・スクエア・ガーデンで3曲エルトン・ジョンと演奏。“Whatever Gets You Through The Night”, “I Saw Her Standing There”, “Lucy In The Sky With Diamonds”)

エルトン・ジョンの「決定版」ドキュメンタリー映画がディズニープラス で配信中。ジョン・レノンの“ラスト”ライブなどについても語る - Sam EmersonSam Emerson

「ジョンは、一緒に仕事するのが難しいと言われていたけど、私とは全くそうではなかった。本当に良い人で最高だった。2年間すごく仲良くして、一緒に悪いこともした。1974年の感謝祭の時にMSGでライブして、ジョンがサプライズゲストで登場したんだ。それをヨーコが観に来ていた。それはジョンには内緒にしていた。彼女は、クチナシの花を2本買っていた。1本は自分に1本ジョンに。その日2人は縁を戻したんだ。彼は、その日再び愛を見つけたんだ。彼はそれ以降、観客の前でパフォーマンスすることはなかったけど、でも彼にはショーンがいたし、父親になれたんだ。だから彼が幸せになって、愛を見つけられて本当に嬉しかった。

人とコラボレーションすると学ぶことがある。“Whatever Gets Throught the Night”をレコーディングした時は、ジョンは先にボーカル録りを終えていた。私は彼とハーモニーしなくてはいけなかったんだけど、彼は歌い方が私とすごく違っていた。だからすごく時間がかかった。その後、デュア・リパから、ブランディ・カーライル、スティーヴィー・ワンダー、アリサ・フランクリン、レナード・コーエンなど本当にたくさんの人達とコラボしたけど、そこで絶対に何かを学ぶんだ」

6.キャリアの中で好きな曲を5曲選ぶとしたら:
『キャプテン・ファンタスティック』の曲ならどれでも。
または、
“Someone Saved My Life Tonight”
“We All Fall in Love Sometimes”
“Curtains”
“Your Song"
“Blessed”

7.好きな映画:
『フィールド・オブ・ドリームス』:父と息子の物語だから。
『ビリー・エリオット』:これも父と息子の物語で、父がとうとう観に来てくれた瞬間に涙が出た。私の父は私を一度も観に来てくれたことがなかったから。
『ゴッド・ファーザー2』

8.共同監督のデイビッド・ファーニッシュのコメント。
「今回、エルトン・ジョンのドキュメンタリーの“決定版”を作ることが目標だった。ドジャー・スタジアムでの2つのライブを基準点としながら。しかし彼のキャリアはこれまでもしっかり記録されてきた。なので、ここで新境地を開拓することが重要だった」。

「そのため未公開映像、未公開音源などを発掘した。ロンドンにアーカイブがあるので、そこでまだ現像もしていないフィルムや、誰も聴いていない音源などを発掘した。だからファンはこれまでに観たことがない映像が観られる。またこの映画で、エルトンの音楽を初めて知る人は、彼の人生を様々な角度からリアルに観ることができる。どんどん人気を獲得していく最初の5年から、ツアーを止めるという大きな決断をするところ。またキャリアの中でも重要なコンサートや、キャリアの中でも最も素晴らしいインタビューの音源。それから、1970〜76年に書いた日記。エルトンは書いたことも忘れていた。さらに自伝出版の時に彼が語った音源など」

9. 共同監督R.J.カトラーのコメント。
「エルトン・ジョンは、最初の5年間でどんどん人気を獲得していったが、個人的にはすごく不幸せだった。それで、ローリング・ストーン誌で告白するという人生の中でも非常に重要な決断をした。それがひとつ重要だった。それから、Alexis Petridis(伝記本『ME』のライター)とのインタビュー音源が物語の背骨として非常に大事な役割を果たした。そこでエルトンが心を開いて、これまでにない真相を語っていたから」

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映画の予告編はこちら。
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