フジロックでケンドリック・ラマーが見せたヒップホップの最高到達点、そしてさらなる進化の予感!
2018.08.04 11:00
早くも伝説のライブになったと言ってもいい、フジロック2日目(8月28日)でのケンドリック・ラマーのステージ。なによりも圧倒的だったのは、今回のライブはケンドリックのこれまでの作品の流れとそのメッセージやストーリーの総決算となっていると同時に、ヒップホップ・パフォーマンスとしてのビジュアルとショーマンシップをどこまで魅せるか、という両面を極め尽くした内容になっていたところだ。
ケンドリックは、2ndアルバム『グッド・キッド、マッド・シティー』以来、一貫してコンプトンという犯罪都市に生まれ育った経験をその楽曲に託してきたが、最新作『ダム』までは貧困や犯罪、あるいは差別など、環境からの軋轢に自分が押し潰されるか、流されてしまうやるせなさを綴っていく作風になっていた。しかし、『ダム』でケンドリックはそうした状況を意識的に乗り越えていく内容を打ち出しており、それをさらに社会的なメッセージとして共振させていく作品にも仕上げてみせ、絶賛を呼ぶこととなった。
今回のパフォーマンスは、まさにそんな境地に至ったケンドリックの足跡を紐解きつつ、現在の確信に満ちた心境と意志を叩きつけるものとなっていた。それは、ケンドリック本来の圧倒的なラップと、そのスキルともあいまった、鬼気迫る内容になっていたからだ。それだけでなく、ラッパーとしてのソロ・パフォーマンスをどう観せていくのかという工夫も徹底的に追求されたステージになっており、どの瞬間のステージの風景を切り取ってみても、ケンドリックの姿はどこまでもストイックかつ切実で、なおかつ、観る者にはしびれるかっこよさとビジュアルな刺激に満ちていて感動的だった。
ある意味で、ケンドリックのみならず、ヒップホップの最高到達点がこの日観られたといってもいいが、『ダム』はまさにそんな作品だったし、昨年の7月から行ってきた今回のツアーもそういう性格のもので、まさにその極まった瞬間を目撃したことになったのだ。そして、この翌日に行われた韓国公演を最後に「ダム・ツアー」は終了し、今回の『ダム』のフェーズも終わったことになる。
この先、レーベル仲間のSZAやスクールボーイQらとのコラボレーションやジョイント・ツアーはあったとしても、本格的なケンドリックの活動はしばらくお預けとなるだろう。では、この先のケンドリックの表現はどこへ向かうのか。ある意味で『ダム』はずっと自身を縛りつけてきたコンプトンというテーマをどこまでも客観化させていく試みであったともいえる。ここまで着実に自身の表現を進化させてきたことを考えれば、今後、その表現はアメリカ全体を見据えた、より巨視的なものになっていくのではないかとも思わせる。実際、今回のライブの圧倒的なスケール感は、そんな予感を孕んだものでもあった。(高見展)