高校生だった頃、友達の部屋で初めてヴァン・ヘイレンを聴かせてもらった時のその友達の推し文句は「とにかくこいつら頭おかしいんだよ」というものだった。
その時、聴いたのが1978年のファースト『炎の導火線』で、エディ・ヴァン・ヘイレンのギターが炸裂するインストゥルメンタル曲の“暗闇の爆撃”から、ザ・キンクスのカバーで、デイヴィッド・リー・ロスの死ぬ一歩手前のような切羽詰まった(ただし特段声を張り上げているわけではない)ボーカルがたたみかけてくる“ユー・リアリー・ガット・ミー”への流れは、ただただすごすぎるとしか感嘆のしようがなかった。
そして、ドラム、ベース、ボーカル、ギターとすべてにおいてそのあまりにもエキセントリックなパフォーマンスに、友達の言う通り、確かに頭がおかしなバンドとしか思えなかったし、これがハードロックの最終形なのかと思ったりもした。
その後、ヴァン・ヘイレンはハードロックの定番バンドとなったし、間違いなくエディは天下を制した、ロック界最強のギタリストのひとりともなった。しかし、エディはその驚異的なテクニックで世間の評価を一身に集めたとはいえ、それをひけらかすことはあまりしないギタリストだったようにぼくは記憶している。
もちろん、テクを披露している時のエディはどこまでも得意気だったし、それを喜んで自負している様子はみてとれた。しかし、エディはむしろ、ソングライターやアレンジャー、あるいはすべての要素を含んだミュージシャンとして評価された時にこそほくそ笑むようなアーティストだったように思うし、そこが80年代以降、登場した多くのギターの名手らとは一線を画すところだったとも思う。
それを最もよく体現していたのが、1984年の『1984』からの“ジャンプ”と“パナマ”だった。
『1984』はそもそもエディにとっても、ヴァン・ヘイレンにとっても革命的となった作品で、それはエディがかねてから主張していたキーボードやシンセを本格的に導入するアルバムとなったからだ。
以前からエディの方からはそういう要望もあったのだが、デイヴやプロデューサーのテッド・テンプルマンから、ハードロック的ではないという異議に阻まれていた。しかし、『1984』の制作に臨む前にエディは自身のスタジオの設立に乗り出し、そのスタジオ建築の過程で新作のデモを制作。ここに多数のキーボード音源も含まれていて、これを聴いたテッド・テンプルマンもこの方向性を認めざるを得なくなり、デイヴらの説得に回ることになった。
その最たるものがアルバムより先んじてシングルとしてリリースされた“ジャンプ”だったが、これはリフが基本的にすべてキーボードであることがあまりにも衝撃的だった。さらにギター・ソロではエディのテクニックが存分に披露されるが、終盤はバロック的なエディのキーボード・ソロとなる展開で、ハードロックのあるべきサウンドがとてつもなくポップなものへと刷新される瞬間となった。その後のポップ・メタルへの道を敷いたという意味でもすさまじい影響をもたらした曲となったのは言うまでもない。
バンドにとって初のシングル・チャート1位となったこの“ジャンプ”を引っ提げて、アルバム『1984』はどういう内容になるのか。そうした意味でさらに衝撃的で、痺れまくったのが“パナマ”だったのだ。
アルバムは“ジャンプ”の翌月の1984年1月にリリースされ、まずはエディのソロ・キーボードによるインストゥルメンタル“1984”で幕を開け、続いてその音の世界観を引き継いだまま“ジャンプ”へと突入する。
そしてそれに続いた“パナマ”はおそらく誰しもが待ち焦がれていたエディのハードなギター・リフががっつり鳴り始める正真正銘のハードロックで、しかもこのイントロのリフのリズム感がまた絶妙なものでエディの真骨頂そのものだった。
さらにコーラスのギター・リフをひとくさり披露するとヴァースへ。デイヴが強烈なボーカルを繰り出す背後で、エディの弾くギターのアレンジがまた超絶的にしびれる。コードをギャーンと弾きっぱなしにしたかと思うと、ピッキングを共鳴させていくという究極のアレンジなのだ。
この繰り返しの後に間奏に入って、当然まずはエディの速弾きが披露されるが、あくまでも自分のスタイルの基本を押さえたもので、エディの特徴をさらっと紹介するようなもの。その後、とてつもない嵐のようなソロが続くのかと思いきや、なんとエディはひたすらロング・トーンのフレーズをただ繰り返していくのだ。
しかも、このフレーズがまたどこまでもブルージーでありながら、エディならではのモダンさと聴きやすいポップさも伴った、病み憑きになるフレーズなのだ。このリフレインとデイヴのボーカルで一気にテンションを高めると、演奏はまたコーラスへと突入し、そのまま怒濤の勢いでこの曲は終わってしまう。
ハードロック、ギター・ロックとしてこれはバンドのレパートリーのなかでも最高峰ともいえる曲でありながら、エディの超人的なテクニックを聴けることがなかったのがあまりにも衝撃的だった。
しかし、たまらずに繰り返し聴いていくと、だんだんとこの曲の構造とギターのアレンジそのものが超人的なものだったことが浮かび上がってくるようにわかってきて、エディの資質と才能に空恐ろしさを感じたものだった。
その後、シングル・リリースされビデオが公開された時も、映像はひたすらステージでのバカ騒ぎを映像として繋げたものだったにもかかわらず、このエディのソロのくだりでは鳥肌が立つような思いになったのをよく憶えている。
10月6日のエディの訃報に触れた時、この時の衝撃がただひたすらに思い出されてならなかった。(高見展)
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