そういうことが非常によく分かる2nd。洗練されたシンセ・サウンド、ニュー・ウェイヴィーなハーモニー。ニュー・オーダーやデペッシュ・モードな印象は、つまりポップとして普遍的だということだろう。だからエレクトロ云々の流行はこの際措いて、プロデューサーとしても腕を振るうニュートラルな感性の持ち主がそのセンスをいかんなく発揮したダンス・クラシックとして聴くのが正解。実際、アシッド・ハウスからミニマル・テクノ、オールドスクールなディスコまで、あらゆるビートを呑み込んで拡大する音楽性は、一過性のブームでは到底語りきれないものである。ベス・ディットーやイェイセイヤーのクリスをゲスト・ボーカルに迎えたりもしているが、それとてインディ・ファンに媚びているわけではもちろんなく、むしろ彼らの個性をどう抑えるかに腐心している様子すらうかがえる。シーンの文脈で考えると地味の一言で片づけられてしまう危険もあるが、5年後に残るのはむしろこっちだという気もする。時代と寝るふりをしてしたたかにわが道を行く、頭の切れる大人のダンス・ミュージック。つまりケミカル・ブラザーズだ。(小川智宏)
見識ある大人のダンス
シミアン・モバイル・ディスコ『テンポラリー・プレジャー』
2009年08月19日発売
2009年08月19日発売
ALBUM
そういうことが非常によく分かる2nd。洗練されたシンセ・サウンド、ニュー・ウェイヴィーなハーモニー。ニュー・オーダーやデペッシュ・モードな印象は、つまりポップとして普遍的だということだろう。だからエレクトロ云々の流行はこの際措いて、プロデューサーとしても腕を振るうニュートラルな感性の持ち主がそのセンスをいかんなく発揮したダンス・クラシックとして聴くのが正解。実際、アシッド・ハウスからミニマル・テクノ、オールドスクールなディスコまで、あらゆるビートを呑み込んで拡大する音楽性は、一過性のブームでは到底語りきれないものである。ベス・ディットーやイェイセイヤーのクリスをゲスト・ボーカルに迎えたりもしているが、それとてインディ・ファンに媚びているわけではもちろんなく、むしろ彼らの個性をどう抑えるかに腐心している様子すらうかがえる。シーンの文脈で考えると地味の一言で片づけられてしまう危険もあるが、5年後に残るのはむしろこっちだという気もする。時代と寝るふりをしてしたたかにわが道を行く、頭の切れる大人のダンス・ミュージック。つまりケミカル・ブラザーズだ。(小川智宏)