ロックを包括し、逸脱する傑作
コールドプレイの音楽が持つ闇雲な昂揚感、天上目指して駆け上がるカタルシス、「無宗教の聖歌」のごときドラマツルギーが、過去最大値を記録した新作である。前作『美しき生命』はコンセプト・アルバムの体裁を持ち、これはシングル曲でこれはインタールードで、といった配置の采配も感じられる作品だったが、本作においてもはやそういう区切りは決壊している。代わりに全体を覆っているのは「もっと」という強迫観念。しかも彼らの場合は「もっと」の方向性は度外視で、手あたり次第全てを120%にするという無作為かつ贅沢、かつ非エコな「もっと」であるのが凄まじい。こんなことはクリス・マーティンという人の底抜けとほぼ同義な無限の才能なくして不可能だっただろう。そんな本作の過剰な情報量と濃度に関してクリスは「ジャンルの垣根を越えたかった」と説明していたが、たしかに本作のそれは「非トラウマティックなカニエ・ウエスト」と呼ぶべき次元に達している。リアーナがヴォーカルで参加したM10も特に屹立することなく、本作の膨大なヴァラエティのひとつとして溶け込んでいる。飽和と言う名の調和が成立した、そう信じられるとんでもないアルバムである。
コールドプレイが現在のロックの数少ない希望であることは違いない。しかし、本作における彼らは『美しき生命』のモチーフにもなった自由の女神のようにロックを導くというよりも、ロックの進化論から外れて新たな生態系をいちから作り上げてしまったのではないか。あまりにも孤高な全てがここにある。(粉川しの)