「ギターは私にとって兄弟みたいなもの」 シンガーソングライター・Anly、音楽との出会いと初のアルバム『anly one』を語る

Anly

2015年にメジャーデビューして、これまでに5枚のシングルをリリースしてきたシンガーソングライターのAnly。1stアルバム『anly one』には、彼女のルーツにある60、70年代のロック、ブルース、フォークのほか、最新の音楽の要素も反映されている。アコースティック色の強いオーガニックな作風、エモーショナルなバンドサウンド、多彩な要素を採り入れた絶妙な構築美など、色とりどりの心地好さを届けてくれる1枚だ。この豊かな味わいは、どのような背景から生まれているのだろうか? 沖縄本島からフェリーで約30分の伊江島で育った彼女の活動の軌跡を辿りつつ、今作に迫ってみた。

インタビュー=田中大

ギターはずっと一緒にいるので、ひとりっ子の私にとって兄弟みたいなんですよ

――どんな音楽を聴いて育ちました?

「伊江島にCDショップはなくて、YouTubeとかを観たりもできなかったので、父が好きなエリック・クラプトンとか、ZZトップとか、CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)とか、ハートとかを聴いて育ちました。私の根源にある音楽は、そういうロックやブルースです。ブルースに関してはクラプトンの影響が強いです。クラプトンは昔のブルースをリスペクトしてカバーしたアルバムがたくさんあるので、そういう作品をよく聴いていました。あと、ラジオから流れるカントリーチャートの番組も大好きでしたね」

――ギターは5歳から始めたんですよね?

「音がちゃんと鳴りだしたのは小3くらいの時です。Amが綺麗に鳴らせるようになって、そこから好きな曲のコードを探して弾いて歌うようになりました。ギターはずっと一緒にいるので、ひとりっ子の私にとって兄弟みたいなんですよ。身近な存在だからこそ『触りたくない。会いたくない』っていう日もあるので」

――愛用の楽器って、擬人化したくなりますよね。名前とかつけています?

「メーカーの名前で呼んでいます。ヤマハくんとか、ギブソンさまとか」

――海外メーカーのギブソンは「さま」なんですね。

「はい。ギブソンさまは、やはり貫録がありますので。レスポールは『レスポールさん』。マーチンは『マーチンさん』。オベーションはクラスメイト感があるので『オベーション』。ヤマハはお兄さん的な感じですかね。テイラーとかタカミネとかは、同年代感があります。『タカミネちゃん! テイラーちゃん!』みたいな(笑)」

――(笑)。オリジナル曲を作り始めたのは、いつ頃なんですか?

「中2くらいの頃に『歌手になりたいな』と思い始めて、『どうやったらなれるんだろう?』と考えた結果、『曲を作ればいいんじゃないかな』と。それでギターを弾いて作り始めたんです」

――高校は音楽のコースがある本島の学校に進学したんですよね?

「はい。10クラスくらいあるんですけど、書道と音楽と美術が好きな人たちが集まるクラスがあって、私は音楽コースを専攻していました。学校でもギターが置かれている倉庫でひたすら弾いたり、曲を作ったりしていた高校時代でしたね。あと、吹奏楽部でトロンボーンを1年間吹いていたんですよ」

――吹奏楽を続けるか歌を選ぶか、とても悩んだそうですね。

「悩みました。マーチングバンドも楽しかったですから。マーチングは誰かが抜けると全体の構成が変わってしまうので、みんなに迷惑をかけてしまうんじゃないかと。でも、みんな私が歌が好きだというのをわかってくれていて、『やりたいことをやったほうがいいよ』と背中を押してくれました。そして、伊江島で初めてのライブをやったんです」

――どんな思い出があります?

「お客さんのほとんどが顔見知りなので、かえって緊張しました(笑)。生まれた頃から私のことを知っている人がたくさんいたんですけど、ブルースっぽい歌を歌いだしたからびっくりしたみたいです。でも、みんなが『かっこいいね。がんばってね』って言ってくれて嬉しかったです」

――本島でもたくさんライブをやっていましたよね?

「はい。北谷の観覧車の下でストリートライブをしたこともありましたね。あと、ちょっとしたコンテストに出てみたりとか。そのコンテストの時、私は自分のギターがなかったんです、折れてしまっていて。『ギターが欲しいなあ』と思っていた時に『賞金が10万円』というコンテストを見つけたんです(笑)」

――なるほど(笑)。

「『これに優勝したら買える』と思って出場したら、本当に優勝できて驚きました(笑)。高校生の頃は、今になって思えばアグレッシブに動いていましたね。ライブハウスで出会う年上のみなさんに可愛がって頂いたのもいい思い出です。高校生の時に初めてクラプトンのライブを観に行ったんですけど、周りの友だちに話してもその興奮をわかってもらえなくて。でも、ライブハウスのおじちゃんたちに話したら『すごいな!』って言ってくれて嬉しかったことがあります(笑)。音楽の話が一番合うのは、やはりライブハウスにいる方々でした」

東京に来た頃はずっとポケットに入れた手を握りしめていた

――高校時代はmiwaさんのライブのオープニングアクトをやったことがありましたよね。

「募集に応募したら合格したんです。その時はmiwaさんの“オトシモノ”やオリジナル曲を歌いました。プロのステージに立って、お客さんがたくさんいるというのが初めての体験で、緊張はしたんですけど、ものすごい胸の高鳴りを感じました。『私が立ちたいのってこういうステージだな。また頑張ろう』と思った体験でしたね」

――miwaさんは何かおっしゃっていました?

「『頑張って』と声をかけてくださったのが、とても嬉しかったです。ブログで『ブルージーな歌で素敵でした』というようなことを書いてくださったのも覚えています。自分ではブルースの香りを出している感覚ではなかったので、『そういう風に感じるんだ』という発見にもなりました。今、私を応援してくださっているみなさんの中にも『miwaさんのオープニングアクトで観ました』という方々がたくさんいるんです。すごく大切なきっかけを頂いたことに感謝しています」

――そういう時期を経て、東京に出てメジャーデビューもしたわけですが、地元を離れることに関してはいかがでした?

「生活面でも音楽面でも、すごく不安がありました。東京に来た頃はずっとポケットに入れた手を握りしめていて、いつでも応戦できるようにしていたんですよ(笑)。すれ違う全ての人が怖い人にしか見えなかったので。でも、1年くらい経つと、東京って私と同じように上京してきた人がたくさんいる場所なんだなと気づきました。だから今は、みんな仲間みたいな感覚になっています。みんなそれぞれの夢を持っているんですよね。そういうひとりとして、私は歌で何かエールを送れたらいいなあと思っています」

――東京に来てから創作面での変化はあります?

「ありますね。単純に歩くスピードが速くなったことで、作る曲のBPMも、もともと70くらいだったのが150になったような感じです(笑)」

――(笑)。作る曲って、そのアーティストが生活している環境の雰囲気が自ずと出るみたいですね。

「そうなんだと思います。今回のアルバムの“Don’t give it up!”“カラノココロ”“この闇を照らす光のむこうに”とかは、明らかに東京に来てから作っている雰囲気だと自分でも感じますから」

――“いいの”は、沖縄で生活する中で生まれたんでしょうね。

「はい。これは沖縄本島の雰囲気です」

――僕、この曲大好きなんです。素朴ですけど、とても力がある曲です。

「ありがとうございます。内に秘めたエモーショナルさがある曲だと私も感じています。エモーショナルさが後半になるにしたがってどんどん出てくるので」

――諦めているようでいて全然諦め切れていない片想いソングですよね。《いいの》という言葉を重ねる毎に、諦めの気持ちの正反対であることが伝わってくる歌詞だなと。高校の頃に作ったんですよね?

「はい。“太陽に笑え”“サナギ”“傘”“Enjoy”“レモンティー”“Come back”も高校の時に作りました」

――高校生がこんなにいい曲をたくさん書いていたというのが、びっくりなんですが。

「ありがとうございます。今になって思うと、高校時代の私の曲たちは書いたまんまで、『はい、出来上がり!』という潔さがすごいと感じます」

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