ライヴハウスの雰囲気とか、そこに集まる人の感じとか、なんか自分にしっくり来ないなって、違和感を感じながら音楽やっていた
――去年の4月に初めての全国流通盤として『ロットバルトバロンの氷河期』を出して、いろんな人からいろんなことを言われたと思うんですが、それはどういうふうに受け止めていましたか?
「良かったって言ってくれる人がいたりとか意見を言ってもらえることはすごくありがたいし、嬉しいことで。そういうひとつひとつの出会いが増えたことはすごく楽しかったなと思います。『氷河期』を出したことで、バンドとしての生き方とか見てる先とか、何をしたいとか、そういうものがどんどん明確になってきて。新しいアルバムを作りたいとか、物理的なもので言えばもっと機材が欲しいとか(笑)、『氷河期』でつながった外国のミュージシャンとこういうとこに一緒に行きたいとか、いろいろ思ったりしてることが、常に目に見えるようになってきて、今までの目標だったものが目標じゃなくなるぐらい、目まぐるしくなっていきましたね」
――なるほどね。バンドはもう始めて7年ぐらいですよね。
「そうですね。僕らは音楽始めるのが遅くて、みんな10代とかでバンドを組んでたりして、僕らはもうちょっと遅くて20歳過ぎてぐらいで。それでも結構長くやってたけど、ライヴハウスとか怖くて(笑)。だからライヴしないでずっとスタジオ入ったりとかコンピューターで曲を作ったりとかやってる期間が長かったのかな。バンドでワーッとなったのはここ2、3年な気がしてて(笑)。だから、なんか変な感じですよね」
――外向きに活動し始めたことで、音楽に対するスタンスとか、あるいは心境の変化とかはありました?
「そうですね。最初、ライヴハウスの雰囲気とか、そこに集まる人の感じとか、なんか自分にしっくり来ないなって違和感を感じながら音楽やっていたところがあったんですけど、『氷河期』を出していろんな土地で僕らを知らない人の前で演奏したりして。アメリカのインディーレーベルの会社を訪ねていった時に、彼らは自分がいいと思う音楽を自分の形で――好きなジャケットを作って、自分の倉庫を持って、アメリカの大都市じゃなくて片田舎から世界に発信して作品をリリースしていて。ひとりひとりが本来のインディペンデントっていう意味で、ちゃんと旗を上げながら音楽をやっていくっていうのを、その人たちと話したり見たりして一緒に経験することができて。で、実際バンドとしてライヴを重ねて、初めてのお客さんに対して20分とか30分しかない時間の中で、この人たちに自分たちの音楽でどう時間を共有して楽しんでもらえるかとか、そういうものの嗅覚がどんどん研ぎ澄まされていったというか。毎日毎日ライヴしかしない、移動してライヴするっていう生活をしていると、どうしても普段の日常とは違う、そういうアンテナとか嗅覚が発達していく感じとかもあったんですよね。特に僕は、すぐに部屋でワーッてこもって、頭がパンパンになって、よくあるあの宇宙人のグレイみたいに、頭がすげえデカくなるみたいな感じがあって、いけないなあと自分では思ってて(笑)。そのパンパンに膨らんだ風船を、なんとか空気を抜かなきゃと思ってましたね」
(モントリオールのミュージシャンとは)共通言語がすごく近しいことが多くて。スピリット的には近いし、自分はここに住めるなあと思った
――今話してくれたインディペンデントであるということって、今回のアルバムの大きなテーマになっていると思っていて。モントリオールでのレコーディングでしたけど、この地を選んだのは何か理由があるんですか?
「自分のスタジオでプリプロダクションをしている時に、ストリングスとかホーンを入れたいから、これは前よりたくさんのメンバーが必要で、アルバムはビッグなサウンドになるなっていうことがわかって。じゃあ具体的にどうしていけばいいのかってスタジオの候補が上がった時に、モントリオールのスタジオ、Hotel2Tangoというのがあって。そこのスタジオは、Godspeed You! Black EmperorのEfrim(Menuck)がもともと創設メンバーのひとりで、新しいアルバムもそこで録られたりしてるんですけど。もちろんロックミュージックではあるんだけど、ちょっとポップでキャッチーな、人懐っこい要素がメロディにあって、でもノイズであったり、実験的なエクスペリメンタルなサウンドが一緒くたに入っていて。それでいながらヨーロッパのちょっとクラシックな、ちょっと優雅なニュアンスみたいなのがパッて入ってたりする。今回のアルバムはそういうサウンドが自分の中で必要だなあと思ったんですよね」
――音のヴァリエーションが多いビッグなサウンドをやりたいって思ったのはなぜだったんですか?
「ライヴがすごく大きかったと思います。前作の『氷河期』はわりとメンバーだけでやって、自分の中で作ってひとつの世界観を完結させるっていうやり方もあると思うんですけど、今回は自分と違う脳みそを持った人とか自分と違う言語を話す人間とやって、最終的に僕が行きたい軌道とは違う方向にいっちゃったとしても、ハプニングを自分の中で欲してたというか。たくさん線があってそれが交わって、何かが見えていくっていうものにしたかったんですよね。いい感じに引っ掻き回しつつ、自分がちゃんとそこに負けないで作っていくこととか、単純にいろんな人間と音楽で会話をしたい、セッションしたいとか、そういうことがそのアルバムを豊かにするなあっていうのを作りながら直感的に思っていたんですよね」
――モントリオールのローカルってすごく豊かなミュージシャンのコミュニティがあって、インディーミュージックにおいてはある種、理想郷的なネットワークがあるような感じがするんですが、実際はどうでした?
「僕らが住んでたスタジオ近くの宿とかのコミュニティは、もう半径何キロほとんどミュージシャンみたいな街で。都市からはちょっと離れていて小さい街だから、ミュージシャンのコミュニティが近いおかげで、横のつながりはものすごくあって。ミュージシャン同士のそういう関係性みたいなのは東京よりも全然あるんですよね。で、モントリオールの面白いところは、『面白いからこれ、今日夜ライヴあるから見ていこうよ』ってエンジニアとかに言われて、レコーディングが終わってライヴハウス行くと、だいたいの音楽がエクスペリメンタルで(笑)。男の子がバイオリンをマーシャルの爆音のアンプに突っ込みながらバーッてドローンを鳴らして、シンバルを叩きながら女の子がひたすら『あ~~~』って言ってるだけで20分終わったり(笑)。そういう実験ライヴが無邪気に行われてて。それを聴く土壌もあるっていう。レコーディングも僕らがノイジーな音を出せば出すほど『いいね!』って言われる(笑)」
――ははははは。そうなんですね。
「だから、音楽をやる上ではすごく過ごしやすいとは思います。ニューヨークほど野心がものすごくある人たちじゃなくて、マイペースに音楽を作ってて、言い方はあれですけど、商売っ気ないっていうか。それでいて世界に発信できたりとか、近くにギター工房があったりとか。あのマイペースさとか大らかさは、ちょっとアメリカと違う独特の柔らかい感じで、それでいてプライドはすごく持ってるし、締めるとこは締める、みたいな。そういうプライドの持ち方は一緒にいて心地いいというか、ピリッとした生き方だなと思って」
――じゃあ、単純にシーンの音楽に対する姿勢みたいなものと共鳴する部分があったんですね。
「そうですね。日本のスタジオでもわかってくれる人もいるんですけど、こういうノイズを入れたいとか、十のことを伝えたい時に、二十とか三十を説明しないと一緒に作れなかったりして、なかなか実現しづらいなあと。でも、向こうだと一言っただけで十わかってくれるから、共通言語がすごく近しいことが多くて。スピリット的には近いし、自分はここに住めるなあと思った」